研究会報告EP(若手専門家)委員会 EPのためのICOMOSガイドブック 第2回「インタビュー報告を通してみる前野まさる先生の思想と活動」
研究会報告EP(若手専門家)委員会 EPのためのICOMOSガイドブック 第2回「インタビュー報告を通してみる前野まさる先生の思想と活動」
EP Study Group Report: ICOMOS Guidebook for Emerging Professionals, Vol. 2 — Exploring the Ideas and Activities of Professor Masaru Maeno through an Interview
瀧田風歌 Fuka TAKITA, 青山道乃 Michino AOYAMA, 宮下貴裕 Takahiro MIYASHITA, 米山大三郎 Daizaburo YONEYAMA, 岡崎瑠美 Rumi OKAZAKI, 佐藤桂 Katsura SATO
日本イコモス賞2025を受賞された前野まさる先生に5月にインタビューさせていただいた内容をもとに、7月1日にEPウェビナー企画「インタビュー報告を通してみる前野まさる先生の思想と活動」を開催しました。本記事では、ウェビナーの概要と参加者の感想をご報告します。
ウェビナー概要
前野先生は、東京藝術大学の赤レンガ倉庫、旧東京音楽学校奏楽堂、東京駅から、全国各地の文化財や街並みの保存活動に至るまで、様々な建築・町並みの保存活動と建築教育にご尽力され、2001(平成13)年~2009(平成21年)年には日本イコモス国内委員会の委員長を務められました。その多大な功績から、今年「日本イコモス賞2025」を授賞されました。本ウェビナーでは、まず企画メンバーの宮下貴裕さんから前野先生のイコモス賞受賞およびインタビュー概要の報告があり、その後インタビュー参加者による所感の共有とディスカッションが行われました。
日本イコモス賞2025授賞およびインタビュー概要の報告
前野先生は、実社会での文化財・環境保全の重要性を学生や市民に伝えることに注力され、現場主義に基づいた教育から後進の建築家や研究者の文化財保存に対する高い意識と実践力を育成されました。また、「東京を描く市民の会理事長」も務め、一般市民への文化財・都市景観への理解と関心を深める啓発活動にも尽力されました。以上のような活動から、日本イコモス国内委員会は「日本における建造物および町並み保存と建築教育に関する一連の活動」の業績を評価し、「日本イコモス賞2025」を授与しました(詳細な授賞理由は以下を参照https://icomosjapan.org/workst/?shem=isphc)。
また、5月に行われた前野先生へのインタビューでは主に3つの話題がありました。
① 調査における専門家の姿勢
「Survey」は地域の人々に受け入れられづらい。「この地域の良いところ、面白いところを探しています」という姿勢が大切。
② 「見えること」による価値共有
東京藝術大学「赤レンガ1号館」などにおいて、歴史的価値を「見える」状態にすることによって関心や理解が広がっていった。
③引き継がれる前野研究室のDNA
研究対象地における信頼関係の構築が続き、長きにわたって全国で集落調査が展開されている。
インタビュー参加者による所感の共有
前野先生へのインタビューに参加した、東京藝術大学前野研究室卒業生の鉃矢悦朗先生と松澤茂先生、日本イコモス国内委員会からは矢野和之事務局長とEP委員企画チーム(青山道乃さん、宮下貴裕さん、米山大三郎さん)が登壇し、所感の共有が行われました。以下に参加者ごとの所感の概要をご紹介します。
鉃矢悦郎先生(前野先生の最後の助手):前野先生の退官の際に久しぶりに岡山の複数地区を巡った時、前野先生が現地の人と親しく話す様子を見て「調べるだけでなく関係性を作った」ことを実感した。
松澤茂先生(前野研究室卒業生):「調査という言葉ではなく、古い良いところを探していますという言葉を使うこと」を、岡山で先生や仲間と話し合う中で見つけたことを思い出した。
矢野和之事務局長:在野精神の強い前野先生に学生時代に影響を受けた。
ディスカッション「前野まさる先生の思想と活動を振り返る」
前野先生の活動や思想の展開を「今」考えるという観点でディスカッションが行われました。話題を大きく2つに分けて概要をご紹介します。
前野先生から引き継がれた姿勢
鉃矢先生から、想いを確かめるための実践として新しい挑戦を続ける姿勢を引き継いでいるというお話や、「机で学ぶな、足で歩け」という前野先生のお言葉をご紹介いただきました。
松澤先生からは、建設業で古い建物を残しながら現代的に使えるようにしているという現在のご活動に前野先生の影響が表れていること、またコミュニケーションの取り方についても前野先生に教えられた「気持ちの共有」を大切にされていることをお話しいただきました。
宮下さんは、地域の人が当たり前のように思っていることが面白いことだということを共有することでコミュニケーションの輪が広がっていくことの面白さに触れ、これに対して鉃矢先生が、前野先生に褒められることで地域の人が自信をつけていったことから「褒めることが保存にとって良いツールとなっている」と仰っていたことが印象的でした。
また、青山さんからは図面やスケッチを渡すような地域への還元方法、話をするだけではない専門家としての関わり方についてご質問がありました。
鉃矢先生からは、前野先生が褒めながらも専門家として伝えたいポイントを住民へ分かりやすく伝えていたというお話を、松澤先生からは、測量図を所有者に持って行ったり、町家の所有者に絵葉書をプレゼントしたりといった前野先生の還元の姿勢を伺いました。
これに対して、米山さんからは、前野先生のお人柄を土台とした活動が社会を動かしたこと、その活動から一人の人間も取りこぼさないまちづくりの在り方を感じたことを、社会に関わる者の一人として心に留めておきたいとのコメントがありました。
サプライズでご参加くださった前野まさる先生からは、「調査という言葉を使わず、この町の古い良いところを探していますと言ってください」という、先生の姿勢を象徴するお言葉をいただきました。改めて、ご自身の哲学を貫き、伝え続けてこられたことに感銘を受けました。
私は現在修士課程で農村集落の町並みを研究しており、地域の人の日常にある歴史的・文化的価値を調べている中で、前野まさる先生のウェビナー企画に携わる機会をいただきました。今回前野先生から学んだ、面白がりながらお話を聞く姿勢、得られたことを地域に還元する姿勢を大切にして研究に取り組みたいと感じました。
グローバル・ローカル両面のご活躍
前野まさる先生が日本イコモス国内委員会委員長時期のイコモス総会に参加された岡田保良さんと西村幸夫さんからも前野先生の功績についてお話しいただきました。
岡田さんからは、前野先生のキャラクターで海外のイコモスのメンバーからも非常に親しく接され、日本の国際的な立場に貢献されていたことを記憶に留めておきたいというお言葉をいただき、また西村さんからは、前野先生の奏楽堂保存活動では当時学内で一人だけ反旗を翻さざるを得ない立場で、ポケットに白紙の辞表を入れ覚悟を決めて活動されていたという印象深いお話を伺うことができました。
グローバル・ローカル問わず様々な場面で目の前の課題に真摯に向き合われた前野先生のご活躍を知ることができました。
参加者の感想
最後に、今回の前野まさる先生インタビュー企画・ウェビナー企画チームメンバー(青山さん、宮下さん、米山さん)、前野先生と同じ町並みの研究者として日本イコモス奨励賞2025を授賞された岡崎瑠美さん、今回の企画をご提案・準備くださった佐藤桂さんのご感想を掲載させていただきます。
青山道乃「保存運動の原動力」
インタビューで最も印象に残ったのは、活動の原動力について質問したときのことだった。なぜ多くの人に働きかけ、地域の歴史を掘り起こし、保存運動に力を尽くせたのか。私はそこに、歴史や芸術、建築への個人的な思いがあるのだろうと想像していた。しかし、先生や教え子の方々の言葉から見えてきたのは、それを社会に対する「使命」として捉える姿勢だった。
退官展カタログ『住まう人に学ぶ 岡山のまちなみまちづくり展』には、前野先生が学内で保存運動に取り組み始めた当初から、「老朽=取り壊し」を「老朽=手入れ=伝承」へと変え、文化や都市の創造に尽くすべきだと考えていたことが記されている。今回のインタビューを通じて、保存とはものを守るだけでなく、社会の価値観やあり方に働きかける実践でもあることを教えていただいた。
前野先生が保存運動を展開し日本イコモスで委員長をされた時代を直接知らずに文化遺産を学び始めた私にとって、こうした使命感は想像を超えるものだった。一方で、私も身近な都市や環境に違和感を抱いてきたことに気づかされた。文化遺産の保存継承や歴史研究には、過去を記録するだけでなく、現在の社会に働きかけ、未来の環境をつくる役割がある。そのことを改めて考える機会となった。
宮下貴裕「地域に還元する専門家の姿勢」
今回一連の企画に参加させていただき、日ごろ様々な地域で調査を実施したりまちづくりに参画したりしている立場として、非常に多くの学びを得ることができた。前野先生へのインタビューにおいて特に感銘を受けたのが、部外者である研究者が地域に入って調査を行う際の姿勢についてである。先生は、専門家として地域に関わるからには、必ず何かしらの成果をその地域に還元するべきであると重ねて主張された。前野研が全国の地域で調査を展開していた時期は、同じく建築分野の様々な研究室によってデザインサーヴェイと呼ばれる調査が活発に行われた時代でもあった。しかし先生は、デザインサーヴェイは地域に対する知見の還元を重視する取り組みではなかったと指摘された。その点において、前野研の活動はこれらのものと一線を画すものであったという強い自負が感じられた。私たち研究者は、ややもすると、多くの人々の生活が蓄積された生きた地域に土足で踏み込み、現場を荒らした挙句、置き土産の一つも残さずに帰ってしまうということをやってしまいかねない。今回のインタビューとウェビナーは、地域の方々との関係構築のあり方や研究者の役割などについて、大いに考えさせられる貴重な機会となった。
米山大三郎「弟子を超えて受け継がれる精神」
今回の企画で強く印象に残ったのは、前野先生ご自身の活動以上に、先生と関わった人々が語る言葉の熱量であった。インタビューでは、建築保存の技術や制度の話以上に、様々な立場の人々と対等に向き合いながら保存運動に取り組んでこられた思い出話を伺うことができた。鉃矢先生と松澤先生が次々とエピソードを補われる様子からは、お二人が前野先生から受けた影響が、専門家としての姿勢にとどまらず人生そのものに及んでいることが感じられた。企画の準備段階でも多くの方から「あの時こうお世話になった」「先生のこういうところが面白い」という話を伺い、先生の活動を直接見たことのない私にも、温かいお人柄で自然に周囲を巻き込んでいかれる姿が浮かんできた。
お人柄が土台となった活動は、誰にも真似できるものではない。ただ、専門家が価値を判定する立場から一歩引いて、地域の人々と同じ目線で「地域の良いところ」を一緒に見つけていく。そのやり方なら、私たちにも真似ができるはずである。前野先生の精神は、いま世界遺産の議論のなかで重視されているコミュニティを中心とした遺産保全や包括的アプローチという枠組みで語られていることそのものでもある。一見遠回りに見える先生の取り組みは、文化遺産保護の芯を突いていた。世界がようやく前野先生に追いついてきた、ということなのかもしれない。この精神は、直接の教え子だけでなく、私たち後進が広く受け継いでいくべきものではないだろうか。
岡崎瑠美「町並み保存の現在地」
前野まさる先生のお話で特に印象に残ったのは、地域や住民に寄り添いながら、民家や町並みと向き合ってこられた姿勢です。「調査」という言葉をあえて使わず、「この町のいいところを教えてください」と住民に語りかけるというお話からは、専門家が一方的に価値を見出すのではなく、地域の人々とともにその価値を発見し、共有していくことの大切さを感じました。
また東京藝術大学の赤レンガ1号館が、前野先生方の呼びかけを契機に学生が大学に対して声を上げたことで保存されたというお話も印象的でした。今では当然のようにそこにある歴史的建造物も、誰かがその価値に気づき、声を上げ、行動したからこそ残されているのだと改めて感じました。こうしたボトムアップの保存活動は、現在の文化遺産保護を考える上でも重要な視点だと思います。
文化遺産を記録する技術は、二次元の図面や写真から三次元データへと大きく広がっています。3Dデータは専門家以外にも空間や建物の姿を直感的に伝えられる可能性を持つ一方、プライバシーやデータ倫理、膨大なデータの長期保存、公開・共有の方法など、新たな課題も生まれています。技術が進歩するなかで、何を、誰のために、どのように記録し継承していくのか。前野先生のお話を伺い、改めて考えていく必要性を感じました。
佐藤桂「企画を振り返って」
今回の連続企画は日本イコモスの歴史を振り返り、次世代に繋げるための取り組みの一環であり、若手研究者にとっては先達との交流を通じて人生の指針を得るための、またとない機会である。町並み保存運動の先駆者である前野まさる先生に若手が今、何を聞き、どのような対話が生まれるのか、私自身も楽しみにしていた。
町並みは「生きている」文化遺産であり、生活のただなかにあるからこそ、その保存は一筋縄ではいかない難しさを伴う。私も学生を連れて町並みを調査することがあるが、住民の方々にどのように接すれば良いのか、こちらの意図がうまく伝わるか、迷惑に思われないだろうか、などと悩み、迷うことが多い。
そのような意味で、前野先生はまさに達人である。もしも私が住民で、「古いところ、良いところを教えてほしい」と聞かれたら、きっと改めて身の回りの良いところを探し、伝えただろう。それを先生はすぐに魅力的な図面やスケッチにして見せてくれる。そうしたやりとりの中で新たな価値が見出され、信頼関係が築かれていったのではないだろうか。受け取ったものを即座にお返しする誠実さ、人柄の滲み出る優しい絵が、多くの人々を魅了したのだろう。OBの方々の温かい言葉からも、先生の哲学や生き方を垣間見たウェビナーであった。
おわりに
今回のウェビナーを通じて私が改めて感じたのは、前野先生の活動が一貫して「関係性を築くこと」を軸としてきたということです。
「調査」ではなく「良いところを教えてください」という言葉を選び、図面やスケッチといった形で地域へ還元し、時には「褒めること」や「面白がること」を通じて住民自身の自信や誇りを引き出す。こうした人との関わりを大切にする姿勢は、国内外を問わず前野先生の活動の根底にあるものだということが伝わってきました。今回お話を伺った教え子の方々からも、前野先生の考え方が知識や技術だけでなく、人との向き合い方、生き方として受け継がれていることが感じられました。
文化遺産の保存とは、ものを記録し守るだけでなく、人と地域に真摯に向き合い続ける営みなのだと、企画を通じて改めて考えることができました。

(筑波大学大学院世界遺産学学位プログラム 博士前期課程)
前野先生に関する参考文献
〈書籍〉
東京新聞出版局(編)(1987)『上野奏楽堂物語』中日新聞社(東京新聞).
東京芸大まちなみまちづくり倶楽部(2000)『住まう人に学ぶ岡山まちなみまちづくり展』
真壁智治(編著)(2018)「前野嶤 世界遺産の前に、まずは自分たちの身の周り」『建築家の年輪』左右社.
前野まさる(2012)『世界遺産と文化的景観 明日への文化財』文化財保存全国協議会.
前野まさる(2020)前野まさる建築論集, 前野まさる建築論集刊行委員会
〈Webページ〉
前野まさる「都市の歴史的遺産の保存と思想」(前野研究室HP)https://www2.u-gakugei.ac.jp/~tetsu/DESIGN/maeno/3theory.htm
日本イコモス資料(2001年4月28日公開)https://icomosjapan.org/media/information5_1.pdf
東京大学都市デザイン(西村・北沢)研究室『C.リーブス教授単独インタビュー 米歴史遺産保存の巨人、新学期への意気込み語る』都市デザイン研マガジン vol.36 http://ud.t.u-tokyo.ac.jp/blog/_docs/labmaga36.pdf(2006年10月1日公開)
真壁智治・前野まさるインタビュー(書籍『建築家の年輪』にも掲載されています)https://xtech.nikkei.com/kn/article/building/column/20131004/634832/?i_cid=nbpnxt_child_parent(2013年10月18日公開)
藝大建物アーカイブ(東京藝術大学 アーカイブセンターHP)https://archive.geidai.ac.jp/buildings/
上野の杜にある近現代建築を訪ねて No.3:東京藝術大学 赤レンガ1号館(Google Arts & Culture)https://artsandculture.google.com/story/MAXRjFPIAEJKZg?hl=ja
2025年度日本ICOMOS賞「日本における建造物および町並み保存と建築教育に関する一連の活動」(ICOMOS Japan web information 2026年夏号)https://icomosjapan-information.org/20241/2026summer-2026/2025icomos/