2025年度日本ICOMOS賞「日本における建造物および町並み保存と建築教育に関する一連の活動」


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2025年度日本ICOMOS賞「日本における建造物および町並み保存と建築教育に関する一連の活動」

The 2025 Japan ICOMOS Award for a Series of Activities in Architectural Heritage and Townscape Conservation and Architectural Education in Japan

鉃矢 悦朗 Etsuroh TETSUYA

スクリーンショット (20)

本稿は、2025年度日本ICOMOS賞を受賞された前野まさる氏へのインタビュー記録である。前野氏は長年にわたり建造物および町並み保存の実践に携わってこられた。本インタビューでは、保存活動や建築教育に対する考え方について話をうかがった。

前野まさる(日本ICOMOS賞受賞者、東京藝術大学名誉教授)

鉃矢悦朗(聞き手、東京学芸大学 教授)

鉃矢  先生に、「この話を聞かせてください」ということでスライドを準備しました。

まず一点目が建築教育の中で、前野先生が実測教育を推し進めてきました。

まだ助手の頃、万願寺の実測を終えて、学生をスバル360に乗せて目黒から目黒通りを通って上野まで帰ったと。その頃から芸大の建築科には実測があって、先生は辞められる時までずっと実測を教育としてやっておられましたが、本当のところはどのような観点で、実測や町並み調査は必要だと思っていたのですか?

前野  あのね、私、町並み調査の時に、「調査」っていう言葉使いません。「調査」っていう言葉使って住民のとこに行くとね「なんじゃ、調査役をするのか、わしらが。調査嫌いじゃけん、はよいんでつけ」ってね追い返されるんです。これは岡山県の高梁市というところでの話なんですけどね。そう言われてしまって、学生たちみんなで「調査っていう言葉が住民から嫌われたぜ、どうしようかな」ってね、相談してね。その結果ね「この町の古い良いところを調べています」ということに言葉を変えようってことになって。実際にそれ使ったんですよ。「この町の良いとこは?」「あ?そげなことなら、わし、よう知ってるけん、ちいてけ!」って案内してくれるんですよ。だから「調査」という言葉はね、非常に危険なことがあって、嫌がられる言葉。だからそういうことは調査する時に使わないで、ここで何をするかというときに「良いところ」っていうことは大事な言葉です。「古い良いところを調べています」、「良いところ」とか「美しいところ」ということならば、住民は嫌わないですよ。

学生はね、「古いところを調べています」っていう言葉を使って岡山の高梁の町に入ったらね、住民から非常に喜ばれてね。それでね、お昼ご飯に、なにかこちらで用意してもね、食べに帰ってこないんですよ。住民のところでね、お昼ご飯ご馳走になってる。だからね、「調査」っていうことは本当にいけない言葉でね、相手が喜ぶような言葉をね、考えた方がいいですよね。

鉃矢  先生、それ、外国でもやったんですよね

前野  外国でもやりましたよ。surveyっていう言葉はダメでね。あの英語ではね ”We are looking for the interesting places in this area.” って言うとね。”Oh well, I know come with me!” てね、連れて行ってくれるんですよ。ああ、このスライドの通りですよ。

だから言葉っていうものはね、本当に大事でね、「調査」なんて偉そうな言葉は絶対使わない。

鉃矢  チェスターリーブス先生に、建物の保存について自分の言葉で自分の考えを言ってくれと言われ、悩んでイコモス会議のマイアミをさまよって、自分の考えをまとえたという話も以前、聞きましたよ。保存の三原則もその頃だと。

前野  保存の三原則。
あれは学生時代だったなね。保存運動に関わろうと思って出て行った時にまず気づいたのは、やっぱり古い綺麗な建物(Cleanliness for Enviroment)を見ないとダメだな。(「芸術性」)建築は、まずは使えなければならないってことがありますんでね。それが「利便性」(Livability)とか、それからそこに関わっていく人と関係とか(「関わり性」)ですね、それからそのものが持っている歴史的な意味とか(「記念性」)とかね。そういったものをそのものに、そのものから(「希少性」)、それからその人から、住民がそれをやっぱり引き出していただけることがやっぱり大事なんですよね。こっち側見て、建物をとか地域の歴史を見て(Visible Value)、それを褒めるということもまた大事でね。そしたら「おお、そげなことわしら知ってるけん、ちいてけ!」って連れてってくれるんですよ。
(※()は補足部分)

鉃矢  自己紹介遅れました。研究室の最後の助手の鉃矢と申します。私が、前野研を修了する時に、前野研にあった建築学会の出した保存要望書をたくさん借りて、同じ傾向があったらいいのかなと思って調べていたら、前野先生が「それは俺が全部裏で書いてるから同じ傾向だ」って。その時に調べていて、このスライドにあるものが残る五要素みたいなもの出てきますよね。

前野  ああ、「利便性」っていうのは、あの、とにかく見てすぐわかるし、住民と話をして、そのものとの「関わり性」っていうもの。歴史をいろいろと聞いて調べて、それが持っていたそこの町での働きなどで、その「記念性」っていうのが出てくる。そしてその建物を見て、その美しさというものをどういうようなものだったのかということで「芸術性」っていうものをね、やっぱり見出していかなくちゃいけない。「希少性」っていうのはなかなか難しいですわな。

鉃矢  これ(スライド)は、 1999年の前野研究室のホームページに前野先生が書いた文章なんですよね。東文研の金井健さんが学生の時作ってくれたホームページです。(「都市の歴史的遺産の保存と思想」)

現在、町中で進行している経済優先的な建築の建て替えは、その建築の持つ歴史的な位置付けや都市景観的な意味付けも吟味しないまま行われており、これを無感覚に受け流すわけには行かない。建築が持つ機能的な働き以外に、建築の外観が都市の中で果たす公共的な都市景観の役割は大きいものがある。それらの建築の中には、その建物が建てられた時代の感情や技術をよく伝える建築が少なくない。

こうした時代感情を伝え、「都市のランドマーク」となる建築を町づくりの鍵として位置付けることは、今後の都市環境と都市文化政策の上で大切なことである。

住民は日頃これを肌で感じ、土地に馴染み親しんでいる。これらは普段、意識されないが、意識しだすと身近な所にさまざまな発見があり、土地に対する愛着や誇りとなる。それらが歴史的遺産として町に残っていることは、それらが住民と土地とのより強い絆として働き、地域の活性化や町づくりの住民のエネルギ-として重要なものとなる。勿論、現代建築も都市の景観を形成する重要な要素であり、20年、30年と時間を経るとそうした絆に成長し、多くの人達の心に留まる建築が「都市のランドマ-ク」となって行くだろう。

如何なる要件を持つ建築が残るのか、その内容について建築の5要素、すなわち、利便性、関り性、記念性、芸術性、稀少性の高いものが残る可能性があることを指摘した。また、地域住民が住みつづけている都市の歴史的遺産の保存をなす時には、住いと都市環境についてLivability、Cleanliness、Visible Valueの原則に則して保存計画を立てなければならない。(文/前野まさる)

いい文章を書いてますね。

前野  いいねぇ。これ本当に私だったんですね。若い頃は結構いろんなことにどんどん書きましたけどね。

鉃矢  先生、このタイトルに「思想」ってありますよね。「都市歴史的遺産の保存と思想」っていうのが良いと思うんです。多分、今の研究者にとって研究はエビデンスによって明らかになるものばかりなんですけど、前野先生の場合、思想がその前に強くあって、それが僕らにはとても刺激的でした。

前野  それはね、やっぱり地域でね、住民とのいろんな話し合いやなんかをして、こういう気持ちが育ってきたんですよ。大学で、授業で教わったものっていうのは、ほとんど町の運動には役に立たないんです。地域の住民と一緒になって、やっとそれが育ってくるんですよ。その時には「調査」って言葉は一切使っちゃいけない。

鉃矢  先生の人を巻き込む力のスタートはこれ(スライド)じゃなかったんですか。

前野  これは、明治13年に建てられた資料館の書庫なんです。上野にあります。

私が芸大にいた頃、藝大がこれを壊すって、音楽の校舎を建てるので。私は大学に対して反発したんですけどね、反発しても大学はなかなか言うこと聞かないんでね学生と一緒に、この書庫に入って、 2階からなんか全部見て、それから、関東大震災で、こっちの妻側の脇の壁が壊れて、その跡も残ってるんで、それの話もしたり、いろいろして。そしたら学生が「そういうことだったのか」「東京で一番古いレンガ像だったのかっ」となり、学生も一緒になって保存運動やって、それで大学はこれを残すことに決めたんですよ。当時の大学では保存なんてことは、全然頭になくて、昔、今よりもさらに利便性、利便性っていうことでどんどん動いてたから、何でも古いものあったら壊して、建て替えようというのが多いんです。だけど、煉瓦造っていうのはなかなか壊れない。コンクリートはアルカリ性ですからね。40年から50年経つと鉄筋が錆びてしまうんです。だけどこの煉瓦造っていうのは、そういうことが全然ありません。東京駅だって鉄骨煉瓦造です。そしてもう100年持ってるでしょう。だから、煉瓦造っていうのは、非常に貴重なもんなんです。今でも芸大にはこの赤レンガの書庫が残ってます。

鉃矢  今回、先生受賞をお祝いとして日経クロステックさんより真壁智治先生がインタビューした前野先生の記事を4月末まで閲覧させてくれることになりました。詳しくご覧ください。これに関しては、真壁先生が「建築家の年輪」という本としています。真壁フィルターを通った、建築家が20人のインタビュー集となります。

先生、この中で私がすごいと思ったのは、本の内容の概要を書いてるところに「まちづくり」「保存運動」っていうのが、建築の仕事としてしっかり記されているところです。

前野  学校では保存とかそういうことは教育なんかないですね。

今、上野に奏楽堂っていうのが残ってます。音楽会やそれからそこにあるパイプオルガンの演奏やってくれてます。藝大の音楽科が古い校舎を改造して、古い音楽の校舎は明治村にやろうっていうことになりました。だから、上野公園の中にバーッと移築しちゃったんです。そして、私が「あ、これなんだ、奏楽堂なんで明治村なんか持っていくんだ、明治村じゃ音が出ないぞ」って発言をする。するとその時の台東区の区長の内山さんが「これはやっぱり明治村じゃなくて上野だな、上野の演奏会場に使うべきだな」って言って。

台東区長と私とで一緒に保存運動やりましてね。今、上野に奏楽堂っていう名前で音楽学校の演奏会場の講堂が残ってます。

鉃矢  その辺の前野先生の腹黒い話。日系ロクロステックの前野インタビューのタイトルになってますよ。「市民運動は、美しい心で腹黒く(笑)」

次のスライドお願いします。

前野先生は江戸の資料をたくさん集めて研究していたのでその資料を藝大に寄贈なさった。625点も藝大に保存されているので、是非、利用して研究にお使いいただければと思っております。

前野  江戸の資料ね。上野は単なる場所じゃないんですよ。藝大に行ってる連中はね、あれが江戸では大変な北東の丘地(おかち)だってことに、ほとんどみんな気がついてないんですよ。