会議報告 グローバルで不協和なモダニティーズ ― 20世紀の建築記念物・遺跡の未来をデザインする(2026年8月17〜21日、カザフスタン・アルマトイ)


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会議報告 グローバルで不協和なモダニティーズ ― 20世紀の建築記念物・遺跡の未来をデザインする(2026年8月17〜21日、カザフスタン・アルマトイ)

Report on "Global Dissonant Modernities — Designing the Future for 20th-Century Architectural Monuments and Sites" (August 17–21, 2026, Almaty, Kazakhstan)

米山 大三郎 Daizaburo YONEYAMA

カザフスタンホテル(筆者撮影)
カザフスタンホテル(筆者撮影)

開催概要

2026年8月17日から21日にかけて、カザフスタン共和国アルマトイにおいて、国際会議とサマースクールを組み合わせた催し「Global Dissonant Modernities: Designing the Future for 20th-Century Architectural Monuments and Sites」(グローバルで不協和なモダニティーズ―20世紀の建築記念物・遺跡の未来をデザインする)が開催された(言語:英語/ロシア語・同時通訳)。8月17、18日の会議はカザフ建築土木アカデミー(KazGASA)を会場とし、19日午後の基調講演とラウンドテーブル、および20、21日のワークショップは現代文化センターTselinnyで行われた。

後半のサマースクールでは、T. K. Zhurgenov記念カザフ国立芸術アカデミー(旧カザフ自治ソヴィエト社会主義共和国政府庁舎)を事例とするワークショップが行われた。同建物は、Moisei GinzburgとIgnaty Milinisの設計により、1927年から1931年にかけて建設されたソヴィエト構成主義建築である。竣工後は度重なる改変を受けてきた。会期3日目の8月19日には、共和国宮殿やカザフスタンホテルなどを巡る市内見学が組まれ、構成主義期からソヴィエト・モダニズム期に至るアルマトイの20世紀建築を踏査した。

T. K. Zhurgenov記念カザフ国立芸術アカデミー(筆者撮影)

アルマトイ市内見学の様子。左:カザフスタンホテル、右: 共和国宮殿 (筆者撮影)

主催は、ICOMOSドイツ国内委員会およびカザフスタン国内委員会と、両国内委員会の若手専門家ワーキンググループ(EPWG)である。Stiftung West-Östliche Begegnungen(東西交流財団)の支援を受け、ICOMOSベルギーおよびポルトガルのEPWGも企画・運営に協力した。また、ICOMOS大学フォーラムと20世紀遺産国際学術委員会(ISC20C)が専門的な支援に加わった。会議は次の4つのパネルによって構成されている。

  • パネル1 重要性の定義―用語から価値、そして法へ(Panel 1: Defining Significance – Terminology, Values, and Laws)
  • パネル2 20世紀の不協和―政治的・物質的対立(Panel 2: The Dissonances of the 20th Century – Political and Material Conflict)
  • パネル3 方法論とキャパシティ・ビルディング(Panel 3: Methodology and Capacity Building)
  • パネル4 実践における保全―「生きた実験室」(Panel 4: Conservation in Practice – The “Living Laboratory”)

筆者は日本イコモスEP委員を代表して、本会議にオブザーバーとして参加した。本稿は、本誌2026年夏号に掲載されたAurore Burette、Mariana Pereira、Danica Petrović、Temirlan Nurpeissovによる「対話から実践へ:ICOMOSにおけるEPたちの協働の実践」への応答として位置づけられる。同稿が「次の一歩」として予告した企画が、実際にどのような場となったのか。本稿では、会議における議論を中心に報告する。

"Global Dissonant Modernities"(グローバルで不協和なモダニティーズ)とは何か

まずは本会議の主題となっている"Global Dissonant Modernities"の含意について確認したい。

不協和な遺産(dissonant heritage)は、J. E. TunbridgeとG. J. Ashworthが1996年に提示した概念である。複数の集団が同一の遺産に両立しない意味を与え、その帰属をめぐって争う状態を指す。ISC20C共同会長はビデオメッセージで、異なる見方を一つの解釈へ調停せず、可視化したうえで共存させる点にこの言説の意義があると述べた。

「グローバル」の含意は公募文書に示されている。初期モダニズムは西欧の遺産枠組みのなかで概ね正典化されたが、その受容は普遍的なものではない。戦後建築やイデオロギーを帯びた建築は、いまも世界各地でその評価や位置づけを巡って議論が分かれており、独立して日の浅いカザフスタンもそうした地域の一つである。遺産保護の法的枠組みが近代建築を十分に包摂できていない一方で、都市の変容だけが急速に進む。本会議は、こうした現状を単なる「欠如」としてではなく、対話と比較学習の機会として位置づけた。

2026年7月に開催された第48回世界遺産委員会では「タシュケントのモダニズム建築―中央アジアにおける近代性と伝統」が世界遺産一覧表に記載された。中央アジアの20世紀建築が国際的な承認を得た直後という時機は、会議全体の前提として共有されていた。

会議の内容

パネル1 重要性の定義―用語から価値、そして法へ(Defining Significance – Terminology, Values, and Laws)

Mekhribanu Glaudinovaは、アルマトイの20世紀建築を世界遺産暫定一覧表に記載された資産の推薦候補として論じた。強い地震リスクを抱えるこの都市では、都市計画から個々の建物まで、地震に耐えるという課題が設計の中心にあった。カザフスタンホテルも共和国宮殿も、実験を重ねて生まれた建築である。Glaudinovaはこれを、災害危険地域における技術の遺産が認められる先例になりうると位置づけた。

一方、Gulnara Kamalovaは、こうした推薦を支えるはずの国内法の問題を指摘した。カザフスタンの法制度には「緩衝地帯」という概念が存在しない。そこで実務上は国内法に基づく保護区域を指定し、推薦書の上ではそれを緩衝地帯として扱っている。しかし、保護区域の指定が解除されれば緩衝地帯も消滅してしまう。たとえばタルガル(Talgar)遺跡では、緩衝地帯内での建設を差し止める法的根拠が裁判所に存在せず、先行して土地を取得した側が勝訴する事態が生じている。世界遺産の枠組みが、現場で機能する実効的な法的手段を伴っていない実態が示された。

ディスカッションもこの制度的課題から幕を開け、世界遺産条約が国内法と十分に噛み合わないまま宙に浮いている現状は多くの国に共通するとの認識が共有された。議論はさらに、モダニティの遺産を扱う固有の困難さへと深まった。モダニティの遺産は人々の記憶や感情、生々しい政治的立場と直結するため、遠い過去の遺産以上に解釈の対立を招きやすい。建築が思想の現れであるならば、問われるべきは建物そのものよりも、それをつくり変えようとする思想の側ではないか―修復の枠組みを超えた議論が交わされた。

パネル2 20世紀の不協和―政治的・物質的対立(The Dissonances of the 20th Century – Political and Material Conflict)

本パネルでは、ドイツ(旧東ドイツ)、レバノン、アゼルバイジャン、カザフスタンの事例が取り上げられ、社会主義期の遺産をはじめとする事例が紹介された。Jörg Haspelは、ドイツとカザフスタンにおける社会主義モダニティの遺産を比較し、遺産が帯びる政治性を正面から論じた。ベルリンでは、東西統一直後の象徴的措置として旧東ドイツ外務省庁舎が解体され、共和国宮殿も取り壊された。Haspelはこれを、「勝者の裁き」とも呼びうる政治的イコノクラスムとして振り返る。

一方で、解体を免れた旧東ドイツ国家評議会庁舎は、現在私立ビジネススクールとして活用されている。内部の壁面には100万個を超えるモザイク片からなる旧東ドイツの国章が残されており、必要に応じて全体を露出させることも、カーテンの背後に隠すこともできる。人々の記憶や感情を傷つけずに保存を図るための、周到な解決策といえる。

ディスカッションの焦点は、「ソヴィエト遺産は誰のものか」という点に集約された。帰属の特定に固執せず公共空間として活用し続けるべきだという意見の一方で、「遺産は人々にではなく場所に属する」として、特定の世代や集団に還元されない価値を擁護する立場も示された。なかでも切迫していたのは、地元アルマトイの建築家による発言である。法制度や保護の枠組みが定まらないまま、空港ターミナルは失われ、共和国宮殿もかつての姿を変えられた。「時間が私たちに不利に働いている」―この一言に、本会議が向き合う課題の切迫した現実が凝縮されていた。

パネル3 方法論とキャパシティ・ビルディング(Methodology and Capacity Building)

Danica PetrovićとTemirlan Nurpeissovは、法制度と遺産保護の実践との間にある隔たりを、教育によって埋めることを提案した。両名はソヴィエト期、現行カザフスタン法、国際文書における遺産の定義を比較し、20世紀の遺産が法のなかに実質的な居場所をもたないことを指摘する。それにも関わらず、世界の大多数の人々は20世紀の建物で暮らし、働いている。法は大枠を定めるにすぎず、現場が直面する政治的・社会的・物質的な条件のすべてを見通すことはできない。

この隔たりを埋めるものとして提示されたのが、EPWGが4年間で築いてきた方法論である。世代と文化を横断すること、実践を通じて学ぶこと、現実の事例に取り組むこと。2024年には水害で被災したドイツ西部アール渓谷(Ahr Valley)を訪れ、2025年にはミュンヘンのオリンピック公園を対象にサマースクールを開催した。キャパシティ・ビルディングとは、普遍的な解法を与えることではなく、方法論をそれぞれの場所に合わせて応用する力を育てることだという。

ディスカッションでは、専門家ではない一般市民、特に若者をどう巻き込むかへと展開した。高校の授業から不協和な遺産を扱うべきだという提案や、専門性を問わず門戸を開いている国内委員会の事例が紹介された。他方で、公的な声明を発する組織としての信頼性を保つため、会員資格を専門家に限る委員会もある。国によっては、EPになるために博士号を求められることさえある。開放と信頼性のジレンマを解消したふりをせず、率直に共有したことにこそ、この議論の意義があったのではないだろうか。

パネル4 実践における保全―「生きた実験室」(Conservation in Practice – The “Living Laboratory”)

David KaminskyとAdilzhan Psyaevは、アルマトイ国立中央博物館を取り上げた。1980年代初めに実現したこの建物は、ホージャ・アフマド・ヤサヴィー廟のドームを参照しつつ、鉄骨によって大胆な形を得ている。外装には、西カザフスタンで廟やマザールに用いられてきた貝殻石灰岩が張られた。両名は、これを伝統と現代建築とを結ぶ石材と位置づける。

アルマトイ国立中央博物館(筆者撮影)

ところが、この外装は現在の技術では復元できないという。ソヴィエト期には接着剤とコンクリートで石を壁に直接固定していたのに対し、今日の工法は金属下地に石を吊る方式であり、細部の表情が失われてしまう。断熱や耐震補強のために外装を解体すれば、戻せるのは複製にすぎない。両名は、2025年に同館が国立の地位を得たことにも触れ、予算がつくことでかえって大規模な改修を招く危険があると指摘した。

ディスカッションでは、まずアダプティブ・リユースのあり方が問われた。建物を残す最善の方法は使い続けることだといわれる。しかし、どのような用途でもよいのか。世界のどこにでもあるような空間に変えてしまうことへの警戒が示された。議論はさらに、解体をどう食い止めるかへと及んだ。ベオグラードやアンカラの事例からは、国際的な場に問題を持ち出すことの有効性が語られる一方、報告書を準備し審議を待つあいだに建物が解体されてしまうという指摘もあった。それでも法的な指定の有無にかかわらず声を上げ、人を集めることには意味がある―そう語る参加者の言葉が、議論を締めくくった。

パネル4 ディスカッション (筆者撮影)

おわりに

会期後には、アルマトイの北西約170キロにあるタンバリ(Tanbaly)の岩絵を訪ねる見学ツアーが組まれた。市内からバスでおよそ2時間半、タンバリ保護区博物館(Tanbaly Reserve-Museum)のガイド案内のもと、和やかな雰囲気のなかで渓谷を歩いた。48地点に約5000点の岩面画が集中し、青銅器時代から20世紀初頭に及ぶ年代幅をもつ。2004年に、中央アジアで最初の岩絵の世界遺産として記載された資産である。

タンバリの岩絵(筆者撮影)

本会議が成立した背景には、EPWGの公式・非公式のつながりがあった。前号の報告によれば、出発点は2022年にICOMOSデンマークとドイツが共催したサマースクールだったという。そこで出会った数人が月例の欧州EP会合を続けるうちに、それ自体が一つの作業の場になっていった。2024年のオンライン・オータムスクール、2025年のミュンヘンでのサマースクールを経て、2026年にはEPWGカザフスタンとの協働でアルマトイに至る。制度が先にあったわけではない。定期的な会話と、共有された問い、そして互いに頼りうるという信頼が先にあった。

1994年に日本で採択された「オーセンティシティに関する奈良文書」は、遺産の価値やオーセンティシティは、それが属する文化的文脈のなかで考慮され、評価されなければならないと述べている。前号の著者たちは、この原則を異なる場所、異なるコミュニティのあいだで実際に検証する機会が必要だと記していた。アルマトイでの日々は、その一つの実例だったといえる。国内の制度と世界遺産の枠組みとのあいだにずれがあること、議論がまとまらないうちに20世紀建築遺産が失われていくこと、若手をどう育てるか。会議で繰り返し語られたテーマは、日本が抱えている課題と重なる部分が多い。日本から持ち込める話も、きっとあるはずだ。

国際協力というと身構えてしまうが、完成した企画に参加することだけが国際協力ではない。まずはオンラインの会合をのぞいてみる。議論を聞き、機会があれば自分の現場の話をしてみる。そんなやりとりの積み重ねが、4年のうちに一つの国際会議になった。前号の著者たちも、日本や他地域のEPとの交流を続けたいと書いてくれている。まずは気負わず、非公式なところから始めてみてはどうだろうか。

タンバリの岩絵 見学ツアー 参加者の様子(筆者撮影)

(東京文化財研究所)