私の中の「シルクカントリー」ヘリテージエコシステム
私の中の「シルクカントリー」ヘリテージエコシステム
My “Silk Country” Heritage Ecosystem
宮﨑 彩 Aya MIYAZAKI
2025年1月に開催されたシンポジウムを契機に、日本イコモス国内委員会では第23小委員会:ヘリテージ・エコシステム(以下、HE)が設置されただけでなく、HEの観点から文化遺産とその周辺のシステム、人々、環境などの関係性を見直すアプローチでの研究が進められている。このHEのエッセンスを肌で体感したのは2024年から群馬県庁のサポートで訪れた群馬県内に点在する絹産業遺産への訪問である。非常に裾野の広い産業であるだけでなく、歴史的な変遷、さらには国、民間企業、個人が関わってきた絹産業を理解するには、世界遺産に登録されている4つの構成資産だけでは不十分である。
それをまず実感したのが2024年に訪れた碓氷製糸であり、富岡製糸場では動いていない機械が今も現役で働きながら、絹糸を紡いでいるその姿に感動した時だった。世界遺産には登録されなかったものの、群馬県内には日本遺産「かかあ天下―群馬の絹物語―」や、各自治体で指定・登録されている文化財が多数存在する。そのため、絹産業のHEをより広く理解し、描くため、2025年の国際シンポジウム以降、群馬県内の様々な文化財を訪れ、文化遺産を所有・運営する当事者や、自治体の担当者の方々との話し合いを続けている。
8月22日から23日の日程で、群馬県庁地域創生部文化遺産課のご支援をいただきながら、複数の市町村を巡りながら新たな絹関連遺産でお話を伺った。これまでは実際に絹や織物を作る工程に特化した製糸場、絹織物工房、養蚕農家などを巡ってきた。今回の出張では、さらに視点が広がり、これまで訪れた場所や歴史に連なる絹をめぐるストーリーと出会った。特に一つ一つの「文化財」を繋いできたコミュニケーター/インタープリターや、養蚕農家をつないできた信仰の場所、絹産業で潤った町の文化(財)など、絹遺産のヘリテージ・エコシステムに欠かせないヒトやモノ、場所がまだまだ存在することを実感した。
養蚕から製糸作り、絹織物の生産まで、絹産業は分業化が進んだため、その裾野は広く、地域の人びとの生活に様々に影響してきた。また、お蚕様や桑という生き物を扱うことから、一筋縄ではいかない難しい歴史を歩みながら、経済活動を続けるために様々なイノベーションが起こったのが絹産業である。その軌跡の続きを今回は見せていただいた。
養蚕・製糸・織物コミュニティから現代のコミュニティとの繋がりへ
咲前神社では、養蚕信仰の中で神社が果たしてきた役割と、現在のコミュニティの中で果たす新しい役割について伺った。養蚕信仰は、絹産業をめぐる民間信仰・神道・仏教の3つが重なるところに存在する。その全盛期は明治であるが、蚕の供養や天敵から守るための祈りの場として神社は重要な役割を果たしてきた。日常的な養蚕の過程で繭から絹を紡ぐために殺さざるを得ない蚕の供養が行われていた。明治26年の大霜害で群馬県や埼玉県では桑の葉が枯死するという未曾有の危機を経験し、養蚕農家は飼育不能になった稚蚕を処分したり、埋葬せざるを得なくなったため、その供養や慰霊碑が高崎県内で多数見られるが、神社の位置づけは益々重要なものとなっていった。また、当時は、蚕の天敵であるネズミを駆除するため、農家に(白)蛇を貸し出していた咲前神社では、そのうちに本物の蛇から白蛇が描かれたお札へと移行していくなど、養蚕から信仰への場として少しずつ変化をしていく。4月1日から3回実施される春祭り(例大祭)の一、二、三の市を神社が長年取り仕切ってきたが、明治期には養蚕に必要な農具などが売られるなど、地域の絹産業を支える重要な役割を担っていた。
現在は養蚕農家の減少により神社の役割や訪れる人たちも変わりつつある。今も続く春祭りは、絹市(きぬいち)として養蚕にかかわる市(いち)としてその内容を近づけながら、地元の人たちの手作りのものも売るなど、近隣のコミュニティをつなぐ役割として、健在だ。また、戦時中に途絶えた太々神楽も、地区の保存会により復活し、1979年には安中市重要無形文化財に登録されただけでなく、安中カルタの札にもなる(https://www.city.annaka.lg.jp/page/21645.html)など、人びとの取組が文化として認知されている。
コミュニティの変化により、太々神楽(だいだいかぐら)や神社そのものの在り方も変わりつつある。以前は農家の長男にのみ与えられていた機会が、今は、子供から大人まで、職業の如何に関わらず与えられている他、2025年からは女性も参加できるようになった。神社は地域学校協同活動などで小中高校と連携しながら、地域の生徒達に地元の歴史を伝える活動を行っている。経済活動や地域社会が変わり続ける中でも、コミュニティをつなぐ役割を今も続けている。

同じようにコミュニティと養蚕の歴史をつなぐ重要な役割を、「ストーリー」に着目して果たしてきたのが上毛新聞社である。元々は養蚕・絹産業で有用な市場や相場などの最新の情報を伝える情報源として支持されていたが、今も広く地元で愛されている新聞社である。富岡製糸場を中心とした世界遺産登録に向けた動きが進められていた時期に、真っ先に養蚕、絹と地域の歴史に着目し、大々的に2005年より展開されたのが「21世紀のシルクカントリー群馬」キャンペーンであった。それは、群馬県の各地域で深くかかわりがある「絹」に焦点をあてながら、先人の足跡や軌跡を追うだけではない。むしろ、絹産業遺産群が世界遺産になるとは考えられない地元の人たちにそのペン先を向けた。地元の人たちが生活の中で見慣れてきた養蚕や製糸、織物との関係性について、計524本の語りが連載「私の中のシルクカントリー」として新聞に掲載された。その後、シルクカントリー双書シリーズのうち、2冊の本として刊行された同掲載は、身近だった養蚕や織物などに光を当てることで、それが特別なことであるという群馬県民の気持ちの醸成へとつなげる重要な役割を果たしたと言える。
シルクをめぐる様々なストーリーを出版してきた上毛新聞社・みやま文庫の藤井さん、富澤さんのお話を聞いて感じたのは、メディアの果たしてきた大きな役割である。群馬県内に点在している養蚕、製糸・紡績、織物産業を含む「点」と「点」の絹産業遺産が、ストーリーや記事として見えるようになり、「線」として繋げられ、それが気付けばメッシュの「面」を作っていたのである。それはつまり、「点」として存在していたモノとしての絹産業遺産に、人びとの経験や言葉という血が通い、表面に浮かび上がることで、それまでは見えてこなかったヘリテージ・エコシステムの存在が生き生きと描かれていた、ということではないだろうか。
絹産業のオリジナルの機能と新しい役割
絹産業で景気に沸いた高崎市、伊勢崎市、桐生市、前橋市の歴史を感じる様々な場所を巡りながら、絹産業後の文化遺産の姿も見学した。ヘリテージ・エコシステムは、ある文化遺産やそのコミュニティが変化していく様子を通して、その場所や生活の過去、現在、未来について考えるための視座も与えてくれる。その役割や意味合いが変化しながらも、いかにして、社会の中で絹産業の記憶が活かされているのかを教えていただいた。
旧新町紡績所は1877年に官営絹糸紡績工場として、ドイツ人の指導を受けながら、日本人の手により設計・建設された。当時最上級の木材やレンガで作られた木造の工場建築であり、今もほぼ完全な規模で残っている。明治期の絹糸紡績工場として唯一の遺構であることから、現存する5棟が国の重要文化財、史跡としても指定されたが、一般公開はされていない。現在も重要文化財に指定されている建物の一部は鐘紡からクラシエフーズの現役の食品工場として稼働を続けている。

古い建物を利用し続けることの難しさをクラシエの皆様から伺った。鐘紡時代まで使われていた修繕場など、現在は利用されていない建物が複数ある。しかしながら、それらの歴史的な建物においても、自然災害への対応や耐震性、雨漏りなどの対応には常に気を付けなければならない。また、一部の歴史建造物は、現役で食品を作っている工場であるため、害虫対策には特に気を付けているという話であった。従来の用途とは異なる新しい活用法で今もなお生き続けているからこその課題である。
銘仙の生産で一世を風靡した伊勢崎市には、当時の好景気を感じることのできる歴史的な建築物や街並みが今も残っている。今回訪れたいせさき明治館は、元々は明治末期に建てられた和洋折衷の様式を取り入れた内科医院である。2002年に伊勢崎市の重要文化財に指定され、町の拠点施設化のため、100m曳家されて現在地に移転した。今回訪れた際は、『秋待ち・めいせん 四季の移りかわり』展が企画されており、モダンアートのようなデザインがお洒落で、粋な銘仙を沢山見ることが叶った。お話によると、これらの大胆な作品は、伊勢崎市の地元の人たちではなく、関西や名古屋のマダムやお嬢さんたちが着るものだったそうで、群馬で作られた銘仙が日本各地で愛用されていた歴史を知ることができた。これらの作品は近所の本町商店街にあるいせさき銘仙の店 華々などを通して取得されたものだそうで、その後、お店も拝見した。銘仙は、生産が本格化した明治期から、戦後の洋装化が進み1960年代をピークに、産業が縮小していったため、アンティークの中から現存するものを探すことしかできない。銘仙やその時期に建てられたいせさき明治館は、伊勢崎市の銘仙産業の記憶を残す、大事な景色と文化を今に伝えている。

様式染色技術を導入し桐生織物業に貢献した後藤織物で、新たな取組について伺った。桐生市では現在も織物業を続けているのはお一人との話であるが、当時の様子を示す建物や街並みは今も残っている。4年前に競売に出された後藤織物であるが、現在の所有者であるテクスト桐生株式会社の星野さんは、4年間の調査で明らかになった後藤織物の歴史をキラーコンテンツとして、再びこの場所を活用するために積極的に動かれている。それは、後藤織物を拠点にしながら、桐生市の織物を語る建物や場所をつなぎ、人に町を歩きながら歴史を知ってもらうヘリテージ・エコシステムの誕生を予感するものである。


最後に、養蚕が盛んな赤城山南麗の歴史を展示する粕川歴史民俗資料館、この地域で典型的な養蚕農家建築が移築保存された旧関根家住宅、製糸担保倉庫として利用されていたレンガ造りの旧安田銀行担保倉庫(国の登録有形文化財)を訪れた。民俗資料館では養蚕農家の使っていた道具やその使い方についての展示の他、この地域に多数存在する縄文時代の遺構や遺物が並んでいる。それを観た上で、旧関根家住宅を訪れると、この地域特有の養蚕農家建築の中に入ることができ、お蚕様を中心にした建築設計を感じることができる。そして、最後の旧安田銀行担保倉庫では、現在はイベントスペースなど多種多様な用途で使われている担保倉庫を外から拝見した。製糸業の中でも、担保品である製糸や繭の保管倉庫、繭乾燥場、銀行出張所として利用されていた、特殊な建物である。



これらは、絹産業時代のオリジナルの機能は失ったものの、当時の歴史を語る重要な証人として、確かな息吹を感じる。それを動かしているのは、時として新たなコミュニティである。ヘリテージ・エコシステムはそのすべてを含み、動的であり、変わり続けている証拠である。
シルクカントリー・ヘリテージ・エコシステム
世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」の4つの構成資産、日本遺産「かかあ天下ーぐんまの絹物語ー」、県知事が登録する「ぐんま絹遺産」、国・県・市町村の指定文化財が共存しているのがシルクカントリー・ヘリテージ・エコシステムである。それらは共鳴しているが、その様子は個別の文化遺産を見るだけでは分からない。そして今は稼働していない工場や養蚕農家、また姿を消してしまった桑畑の不在により、明治期から昭和にかけて見られていた絹産業を肌で感じることは難しい。しかしながら、新たな機能を与えられ、新たな存在として地域社会で生き続けることで、絹産業の歴史やコミュニティはつながっている。今回、改めて、それぞれの点が線でつながり、メッシュとなって面になっていく様子を実感した。群馬、ひいては日本の絹産業遺産をより俯瞰で見ていくことで、それぞれの個が際立つのではないだろうか。ヘリテージ・エコシステムのアプローチを活用しながら、一つずつの宝に光を当てて、面として理解し、守るための方法を地域横断で考えていくことが望ましいと改めて考える機会となった。今回、お時間を作ってくださった県・市町村の自治体、文化遺産の所有者や運営者、関係者の皆様には、改めて感謝を申し上げたい。