日本ICOMOS EPによる立山砂防見学を通して


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日本ICOMOS EPによる立山砂防見学を通して

Through the on-site observation of “Tateyama Sabo” by the 2026 ICOMOS Japan Emerging Professionals (EP)

會谷 華 Hana AITANI

集合写真‐白岩堰堤石碑前にて
集合写真‐白岩堰堤石碑前にて

■はじめに

日本ICOMOS国内委員会若手専門家(EP)常置委員会(以降、EPと称する)では、令和8年8月20日(木)〜21日(金)にかけて富山県観光推進局観光資源活用室世界遺産・ふるさと教育推進課(以降、富山県と称する)、国土交通省北陸地方整備局立山砂防事務所(以降、砂防事務所と称する)の全面協力のもと、立山カルデラの現地視察を行いました。

砂防とは、山崩れや河川の浸食を抑えるとともに、下流へ流出する土砂の量を調整し、土砂災害を防ぐための取り組みです。砂防には、山地における土砂の生産・流量を抑制するとともに、流出する土砂を扞止・調整し、下流域の土砂災害を防ぐ役割があります。※1

立山カルデラと常願寺川流域には、国の重要文化財「常願寺川砂防施設※2」を構成する白岩堰堤、泥谷堰堤及び本宮堰堤があります。今回の現地視察の大きな目的は、これら3つの重要文化財である堰堤群について意見交換会を行うことでした。今回のレポートでは初日の現地視察のみを言及いたします。

私は「河川・砂防・ダムの違いや境界」といった初歩的な認識すらあやふやで、砂防職の同僚が熱く語る砂防の面白さを理解出来ていませんでした。しかし、実際に現場に行くことで、同僚たちが目を輝かせて語っていた砂防事業の計り知れない魅力と重要性を、目で見て、身をもって体感することができたように思います。

1.立山カルデラ砂防博物館見学

富山駅から立山カルデラ砂防博物館までのバス車内では、博物館の成瀬館長より「カルデラとは何か」という基礎知識から富山平野の成り立ち、立山カルデラの歴史まで丁寧にご教示いただきました。カルデラとはスペイン語で「大鍋」を意味するそうで、立山カルデラはかつて陥没カルデラと考えられてきましたが、現在は浸食作用で形成された巨大な窪地と考えられているそうです。

また学術的にも、立山砂防を起点に日本における砂防事業や砂防技術が確立されたという経緯があります。

写真1 立山砂防博物館館長による大鳶山・小鳶山崩落時の富山平野の説明

博物館での個人的な発見-オランダ人技術者ムルデルについて-

博物館ではデ・レイケと共に日本の近代土木を支えたオランダ人技術者ムルデルが紹介されていました。ムルデルは千葉県野田市においても技術普及を行っており、私の母校である東京理科大学の最寄駅、「運河駅」の由来となった利根運河の設計にも貢献した人です。富山でその名に再会するとは思わず全国で活躍していたことに驚きました。

2.跡津川断層見学・六九谷展望台

続いてバスの車窓から真川にある跡津川断層の露頭部(写真2)を見学しました。跡津川断層は立山から岐阜県の北の県境にまで長くのびている活断層です。この断層の最新の活動が1858(安政5)年の飛越地震であり、これが安政の大災害(※3)を引き起こして、後の立山砂防事業へとつながる決定的な契機となりました。断層のずれを肉眼で確認できる非常に貴重な場所であり、まさに立山砂防の歴史の始まりを体感する見学の導入となりました。

写真2 跡津川断層真川大露頭

六九谷は1969(昭和44)年の豪雨で斜面が崩れてできた谷です。この谷を見渡せる展望台では砂防事務所の小竹所長から立山砂防の沿革と技術についてご説明いただきました。

立山がかつて毎年のように大規模な土砂崩れに見舞われ、砂防施設の建設を試みては流され、苦難を重ねてきた歴史があることを知ると、明治時代から今日まで続く砂防事業の恩恵を受け大災害が防がれ、安全に暮らしていけることに感謝せずにはいられません。

写真3 六九谷展望台からみた立山カルデラ

平常時からデータ解析や土砂量や水量のシミュレーションを基に、緻密にコントロールしつつ、豪雨時には流出を抑制して壊滅的な被害を防ぐ手法は、自然を人間が制御しているようだと感じました。また、「最終的にコンクリートであることが分からなくなるほど自然に馴染むこと」が砂防施設の理想像であるというお話も印象に残りました。

3.立山温泉跡地

現在も活火山認定を受けている立山では、1580(天正8)年に温泉が発見され、かつては立山温泉として賑わっていた時期もあったそうです。しかし、1969(昭和44)年の大雨で、登山道が流され復旧困難となり、1973(昭和48)年に温泉が閉鎖、1979(昭和54)年に焼却処分されました。現地には燃え残った金庫や湯船(写真4)などが残されており、往時の様子を偲ばせています。

なお、江戸時代の立山温泉は安政の大災害により土砂の下(約10m下)に埋没してしまい、現在痕跡が残っているのは明治以降に再建されたものです。跡地には安政の大災害などの犠牲者を祀る供養塔が建てられており、約170年前の単なる記録としてではなく、この地で起こった途方もない天災が生々しいリアリティをもって語りかけてくるようでした。

写真4 立山温泉跡

立山温泉跡を抜けた先には、1926(大正15)年に赤木正雄氏※4の指揮のもとで国直轄工事が開始されたことを記念する石碑(写真5)が立っています。国直轄工事以前は県が工事を行っていたものの度重なる出水で流失し、現在の立山砂防に至るまでは苦難の道のりだったそうです。国直轄化からちょうど100年が経過した現在は、昭和44年の大雨規模の災害を防ぐことを目標とした砂防施設の整備※5が行われており、防災技術の更なる向上の重要性を感じました。

写真5 立山砂防の石碑

4.泥谷砂防堰堤群

泥谷砂防堰堤(写真6)は常願寺川支川湯川の上流部において、土石流や山腹崩壊を防止する目的で築かれた堰堤です。

富山県は1906(明治39)年に泥谷砂防堰堤群の工事に着手しましたが、1929(昭和4)年の豪雨で破壊してしまい、現在残っている泥谷砂防堰堤は国直轄工事により整備されたものです。県営時代の泥谷砂防堰堤には、1915(大正4)年に第14代富山県知事により「護天涯※6(写真7)」の文字が刻まれていました。この碑は土石流によって流失しましたが、1930(昭和5)年に湯川と泥谷の合流点付近で発見されました。

現在は泥谷上流1号堰堤に埋め込まれており、今日も災害の脅威と戦い続けている砂防技術者と富山平野の住民の深い願いが刻まれています。

泥谷砂防堰堤の表面は大きめの巨石で保護されていますが、現代の基準では見られない意匠であり、今後二度と作ることができない歴史的構造物として慎重な保全が望まれます。摩耗が進んだ際の補修においても、重要文化財であるため安易にコンクリートで覆うわけにはいかず、建設当時の風合いや表面状態を保ちながら補修するタイミングの見極めが非常に重要となります。工事に取り掛かるまでに数年を要する上、現地での説明によると豪雪地帯であるため年間で最大6ヶ月しか工期が取れないそうです

そのため「摩耗してから修復する」のではなく、「予防保全」として先手を打つ必要があり、その他の工事との調整を含めた運用の難しさがあると感じました。

写真6 泥谷砂防堰堤

写真7 護天涯の碑

5.白岩砂防堰堤

白岩砂防堰堤(写真8)は常願寺川水源崩落地における山腹及び河床の安定を目的に築かれました。写真では入りきらない大きさなので、全体像は富山県のサイトhttps://www.pref.toyama.jp/1510/miryokukankou/bunka/bunkazai/kj00000274/kj00000274-003-01.htmlをご覧ください。白岩砂防堰堤には左岸(写真8の左手側)の土壌が脆弱で、右岸は強固という特徴があり、左右の地盤差が弱点となってしまいました。砂防事務所では1999(平成11)年から地盤の強固な右岸にトンネルを掘削しアンカーボルトを打ちこむという工事が行われており、高度な技術だけでなく景観にも配慮しています。

現場では左岸の盛土部分に草木が繁茂しており、管理橋のコンクリート製高欄の一部では鉄筋の露出が確認され、補修の必要性を感じました。しかし、文化財としての側面もありますが、現役の防災施設としての緊急度との兼ね合いから、限られた予算の中で優先順位を判断せざるを得ない現場のジレンマも伺えました。

写真8 白岩砂防堰堤

6.本宮砂防堰堤

本宮砂防堰堤(写真9)は、3つの主要堰堤の中で最も下流に位置し、階段式堰堤によって土砂生産を抑制することを目的に造られました。

泥谷堰堤が徒歩でしかアクセスできない山深くに位置するのに対し、本宮堰堤は車道に近く、比較的見学しやすい環境にあります。視察当日は左岸側で工事が行われていたため、きれいに全体が流れていませんが、本来は堰堤の越流部を水が薄い膜状に流れ落ちる、壮観な姿を見ることができるそうです。

写真9 本宮砂防堰堤

■最後に

今回の立山カルデラ視察を通じて、自然環境へ巧みに馴染んだ砂防構造物群の造形美やスケールの大きさに感動すると同時に、極めて過酷な条件下で続けられてきた砂防工事の厳しさや歴史的背景を理解することが出来ました。

歴代の砂防関係者は、時代を超えて「流域の人々の暮らしを守る」という不変の目標に向かって尽力してきました。抑制の難しい自然の猛威に対抗し続けるための継続的な技術革新、たゆまぬ努力と使命が、現在の安全な富山平野と美しい立山カルデラを支えています。維持管理・保全の現場では、各地の災害対応との間で優先順位の調整や文化財としての保全など、さまざまな難題に直面しながらも、砂防事務所および富山県の方々が真摯に取り組まれている姿勢に深く敬意を表します。

また個人的な感想として、地上からでは構造の全貌を捉えきれないほど壮大であるため、いつか上空からもその姿を俯瞰してみたいと思いました。

最後に、本視察を企画・推進してくださった山田先生、ツアーの企画から2日間の行程にご同行のうえ丁寧なご解説を賜りました富山県土居様、笹島様、砂防事務所の小竹所長に心より感謝申し上げます。私個人の反省としては、視察後4日間ほど筋肉痛に苦しみましたので、次回の現地見学までに、まずは体力を向上させて臨みたいと思います。

(註釈)

※1 国土交通省『土石流とその対策』https://www.mlit.go.jp/mizukokudo/sabo/dosekiryuu_taisaku.html

※2 文化庁『国指定文化財等データベース』https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/00005059

※3 1858年に起きたM7.3~7.6の飛越地震の影響で大鳶山・小鳶山が崩れ、常願寺川をせき止めた大災害。安政の大災害以降は大雨・地震の影響で土砂災害や水害が発生しやすくなり、砂防を計画する契機となった。

※4 立山砂防事務所初代所長である内務省技師。

※5 国土交通省北陸地方整備局立山砂防事務所『砂防の方針』https://www.hrr.mlit.go.jp/tateyama/jigyo/sabo.html

※6直訳すると「天涯(はるか遠くの土地)を護る」。いつの時代も災害のない暮らしを希求する人々の思いが込められている。

(参考文献)

・国土交通省 北陸地方整備局 立山砂防事務所『~日本最大級の貯砂量を有する砂防堰堤~本宮砂防堰堤』

・国土交通省 北陸地方整備局 立山砂防事務所『泥谷砂防堰堤群』

・国土交通省 北陸地方整備局 立山砂防事務所『~防災機能の保持と文化的価値の保存~ 白岩砂防堰堤』

・富山県 立山カルデラ砂防博物館(2026年)『立山カルデラの砂防』

・富山県 立山カルデラ砂防博物館『立山カルデラガイドブック』