土砂と格闘してきた一世紀 立山砂防見学から考える「生きている遺産」の現在地
土砂と格闘してきた一世紀 立山砂防見学から考える「生きている遺産」の現在地
A Century of Struggle with Sediment: Reflections on "Living Heritage" from the Tateyama Sabo Field Visit
朴 贊姝 Chanju PARK
1. はじめに — 富山平野の水際で
カルデラ、という言葉は知っていた。しかし、立山カルデラへ向かう道中、バスの窓越しに広がる景色を眺めながら、私が知っていたのは言葉だけであり、目の前の景観を受け止める準備など何ひとつできていなかったことに気づいた。常願寺川に沿って延びる道、遠くに見える険峻な外輪山。同行した立山カルデラ砂防博物館の成瀬館長から聞く車窓解説は、地形と人の歴史が不可分であることを、静かに、しかし確実に告げていた。
なかでも印象に残ったのは、富山県の成り立ちについての話だった。度重なる水害から住民を守るために石川県から分離独立したという、この地の歴史。自然の力によって行政区域の境界線が引き直されたというこの事実は、砂防事業を単なる土木工学の問題として語ることを許さない、という確信に変わった。
2026年8月20・21日に立山砂防見学会と意見交換会に参加する機会を得た。本稿は、その二日間を通じて得た気づきを、一人の参加者として記録するものである。
カルデラの縁から内側を見下ろすと、山肌と堰堤と空が一枚の絵のように重なる。この風景を前に、百年以上の格闘の歴史がある、という事実がようやく身体に入ってきた。
2.「止める」のではなく「調整する」
視察を通じて最も深く刻まれたのは、砂防の哲学だった。土砂を完全に止めることが目的ではない。過剰に止めれば下流の河床が低下し、橋脚や堤防の基礎が洗掘される。かといって放置すれば、河床が押し上げられ洪水への脆弱性が増す。砂防の本質は、土砂の量と速度を精密に「調整」することにあると、繰り返し聞かされた。
この哲学は、初代所長・赤木正雄らの事業を基礎として形成された「水系一貫」の思想に根ざしている。上流の土砂発生源から下流の流出まで、川をひとつのシステムとして管理するという考え方だ。個々の堰堤を設計するのではなく、流域全体を設計する。その発想の転換の大きさを、実際に現地を歩いて初めて実感できた気がした。
3. 堰堤は語る
白岩砂防堰堤 — 基礎を支えるもの
カルデラ出口に鎮座する白岩砂防堰堤(2009年、重要文化財指定)は、日本一の高さを誇る砂防堰堤である。右岸は花崗岩の強固な岩盤、左岸は火山性の不安定地盤。この非対称な条件に応えたハイブリッド構造は秀逸だ。右に水流を誘導しながら、弱い左岸を盛土と格子状のコンクリート枠で保護する。右岸岩盤が崩落した際には、景観への影響を最小限に抑えるため背面にトンネルを掘削して内側からアンカーを入れるという特殊工法が採られた。
新たな技術を積み重ねて、遺産を残していくことは大切なことだ。

右岸のコンクリートと左岸の盛土が一体となるハイブリッド堤体。近づいてみると、その規模だけでなく、地形の個性に寄り添う造形に気づく。
泥谷砂防堰堤群 — 職人の時代が遺したもの
昭和初期の約4年間で集中的に整備されたという泥谷堰堤群。現代の安全基準と労働環境のもとで同規模の工事を再現しようとすれば「10年程度」を要するという話を聞いて、胸に何かが引っかかった。数字の差分に、百年分の社会変化が凝縮されている。
安山岩の石張りで覆われた堤面は、建設以来ほぼ大規模補修を経ていない。人々の協働と行動力が、土木構造物を通じて確かに届いてくる — そう感じさせる場所だった。
本宮砂防堰堤 — 偉大さを主張しないもの
白岩堰堤が「抑制」を担うのに対し、本宮砂防堰堤(2017年、重要文化財指定)の役割は「待ち受け」だ。上流から流れてきた土砂を受け止め、下流への流出量を平準化する。貯め込んだ土砂が広大な堆砂敷を形成し、その地形が洪水時に流速を急減させる。人力で掘削しなくても、地形そのものが機能する仕組みだ。
晴れた日には正面に大日岳を望み、天端を均一な水が左右に広がって流れ落ちる。富山市が観光広報に使うほどの景観でありながら、来訪者は驚くほど少ない。あまりに地味すぎて、偉大さを自ら主張しない — そういう存在感が、かえって印象に残った。

天端を水が均一に流れ落ちる様子は、この施設が正しく機能している証でもある。道路脇から気軽に眺められるにもかかわらず、来訪者の少なさが惜しまれる。
4.「防災施設」と「文化財」のあいだで
堰堤に刻まれた文字の小さなコンクリート片が脱落した際、それを接着剤で元に戻すだけの作業に文化庁との協議が半年近くを要したという。文化財保護の手続きは厳格である。
堰堤の表面には、草や小木の根がじわじわと伸び始めていた。凍結融解の繰り返し、根の進入、雨水の浸透。これらは防災施設として守るべき機能と、文化財として保存すべき原形という二つの命題を、時に引き裂く。
世界遺産登録が実現すれば、「登録時の形態を維持すること」が原則として求められる。今も現役で動き続ける施設が「原形とは何か」を問い続けながら機能するとはどういうことか。答えはまだ出ていない。
5. おわりに — 有形と無形の、あいだで
立山砂防の価値は二層をなしていると思う。白岩・本宮・泥谷という堰堤群が体現する有形の価値と、水系一貫の思想、土砂の計測・管理技術、文化財を傷めない施工方法の開発と継承という無形の価値だ。
次の日の意見交換会の場で気づいたことは、「人々が訪れ続ける遺産こそが、真に生きた遺産である」ということだった。道路脇に立つ本宮堰堤でさえ来訪者が少ない現実を前に、この「近くて遠い名所」をどう知ってもらうかは、世界遺産登録と同じくらい切実な課題に思えた。
「私たちが造った堰堤が木々に覆われて見えなくなることが、求める姿なんです」国土交通省 立山砂防事務所長・小竹氏
自らの仕事が自然に溶け込み、やがて見えなくなることを「完成」と呼ぶ人たちによって、この遺産は守られている。赤木正雄から現代の技術者へと連なる精神の系譜が、そこには確かにあった。世界遺産登録への道のりはまだ長い。しかしその道のりそのものが、この遺産が今も「生きている」ことの証左ではないだろうか。
本稿は2026年8月20〜21日に富山県で実施されたEP立山砂防見学会および意見交換会への参加に基づく個人的考察である。本視察の実施にあたり、富山県世界遺産推進課、国土交通省立山砂防事務所、立山カルデラ砂防博物館の皆様に深く感謝申し上げます。
(立命館大学大学院 理工学研究科 都市地域デザイン研究室)