開催報告:文化遺産国際協力コンソーシアム第38回研究会「文化遺産デジタル化の現在地-欧州・日本」


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開催報告:文化遺産国際協力コンソーシアム第38回研究会「文化遺産デジタル化の現在地-欧州・日本」

Report on the 38th Research Seminar: “ Digital Heritage Documentation Today: Perspectives from Europe and Japan — Dialogues from the Field”

井川 博文 Hirofumi IKAWA

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1.はじめに

近年、三次元レーザースキャンや点群データ(物体の表面を無数の点で捉えた三次元データ)、HBIM(歴史的な建物をデジタルで再現する情報モデル)といったデジタル技術が、文化遺産の記録・保存の現場に急速に広まっています。ヨーロッパでは、欧州委員会が2030年までに危機にさらされた文化遺産の三次元デジタル化を完了するよう各国に求めており、日本でも関連する制度の整備が少しずつ進んでいます。

こうした時代の動きを背景として、2026年6月11日(木)、文化遺産国際協力コンソーシアムと文化庁の主催、日本イコモス国内委員会の後援により、第38回研究会が開催されました。今回はオンライン(Zoomウェビナー)形式で行われ、日本語・英語の同時通訳も用意されました。ヨーロッパと日本それぞれの現場経験をもとに、共通の課題をともに考える場として企画されたものです。

事前に260名が登録し、当日は195名が参加しました。文化遺産のデジタル化というテーマへの幅広い関心の高さが、この数字に表れていたと思います。

2.企画の背景

この研究会が実現した背景には、日本とイタリアの実務者・研究者の間で積み重ねてきた継続的な交流がありました。きっかけは2025年初頭、文化遺産デジタル記録の国際組織CIPA Heritage Documentationの名誉会長マリオ・サンタナ教授らが来日したことです。これを機に日本は文化遺産記録の世界的な動向と改めてつながり、同年8月にはフィレンツェ大学が主導する研究ネットワーク「CHEDAR(文化遺産のデジタル化とレジリエンスを研究する国際ネットワーク)」のチームが大阪・関西万博のイタリアパビリオンのために来日し、CIPA日本国内委員会のメンバーとの交流が始まりました。さらに同年12月には、CIPA日本国内委員会主査の野口淳氏がフィレンツェを訪れ、日本側の活動を現地の研究者たちに紹介しました。

こうした交流を重ねるなかで、日本とイタリアが文化遺産のデジタル化において同じ根本的な課題に向き合っていることが、はっきりと見えてきました。

本研究会は、こうした二国間の対話を広く公開する場として位置づけられました。テーマは次の三点を軸に構成しました。

  • 「データから知識へ」:デジタルデータの精度・信頼性・他システムとの連携・解釈をどう確保するか
  • 「大規模記録の難しさ」:膨大なデータをどう管理し、意味のある知識として活用・還元するか
  • 「現場の本音」:デジタル記録・国際的なデータ共有・地域社会へのアクセスについて、課題もあわせて率直に語り合うこと

技術の紹介にとどまらず、「そもそも何のために記録するのか」を問い直す場として企図したものです。

3.開会挨拶・趣旨説明

本研究会は、東京文化財研究所文化遺産国際協力センター国際情報研究室の金井健室長の司会により進行しました。開会挨拶から趣旨説明、各講演、質疑応答まで、落ち着いた進行のもとで滞りなく運び、後日のアンケートでも円滑な進行を評価する声が寄せられました。

はじめに、文化遺産国際協力コンソーシアム副会長で日本イコモス 国内委員会の岡田保良会長より開会の挨拶をいただきました。岡田氏は、コンソーシアム発足20年の節目に第38回研究会を迎えることへの感慨を述べられるとともに、文化遺産保護を世界的に牽引してきたイタリアの専門家を迎えることへの期待を語られました。日伊の連携を「まさに時宜を得た試み」と位置づけられ、研究会全体への期待が高まる幕開けとなりました。

続いて、筆者より本研究会の趣旨を説明しました。「品質の不明なデータは中立ではなく、リスクである」というTucci教授自身の言葉を引きながら、データの正確さ・信頼性・活用可能性を確保することの重要性を述べ、本研究会で共有したい論点を提示しました。

4.各講演の概要

基調講演:Grazia TUCCI教授「CHEDARと欧州の文化遺産3D戦略」

基調講演は、フィレンツェ大学教授・CIPA-HD副会長・イコモス・イタリア副会長のGrazia TUCCI教授が担当されました。Tucci教授はまず、ご自身の研究室「GEOlab(地理情報技術を活用して環境・文化遺産の保全を研究する学際的研究室)」を紹介されました。建築家・エンジニア・考古学者・地理学者・地質学者・デジタルメディア専門家が集まり、「文化遺産の記録は純粋に技術的な作業ではなく、解釈や科学的な厳密さ、異なる専門知識の対話を必要とする」という理念のもとで運営されているとのことでした。

ヨーロッパのデジタル戦略については、2000年のリスボン戦略を起点に、2008年に始まったEuropeana(現在6,000万点以上の文化資料を収録するデジタルアーカイブ)、そして欧州委員会による文化遺産デジタル化に関する勧告へと至る流れが丁寧に説明されました。この勧告のなかで三次元デジタル化が初めて明確な政策手段として位置づけられたことは、改めて印象的でした。

なかでも印象的だったのは、「三次元デジタル化の品質は、形の正確さだけでは決まらない」という視点です。Tucci教授は「付帯情報(メタデータ=いつ・誰が・どのように記録したかといったデータに関する説明情報)は、形状データ(ジオメトリ=建物や遺跡の三次元的な形)と同じくらい重要だ」と述べられ、多くの参加者の心に響いたのではないかと思います。つまり、「何を記録したか」だけでなく「どんな状況でどのように記録されたか」という情報が、データの価値を大きく左右するということです。

また、2003年のユネスコ無形文化遺産保護条約の根底にある「無形」の考え方が、もともと日本の文化財の考え方に由来するという指摘は、日本の国際的な貢献を改めて認識する機会となりました。

基調講演及び講演1の様子

講演1:Alessandro CONTI氏・Lidia FIORINI氏「ピッティ宮殿の事例研究」

フィレンツェ大学のAlessandro CONTI氏とLidia FIORINI氏から、フィレンツェの世界的な名所・ピッティ宮殿を対象とした大規模な記録プロジェクトが報告されました。1,500以上の空間を記録し、5,000回以上のレーザースキャンを実施、5万枚を超えるドローン撮影画像を取得したという規模の大きさは、会場に驚きをもって受け止められました。これほどの大量データをどう整理し、保存管理や活用に結びつけるかという実践的な課題も共有されました。「大規模な歴史的建造物のデジタル記録において、文化財関係者との協働体制の構築が肝だと確信できた」という参加者の声に、講演の具体的な示唆が表れていました。

講演2:野口淳氏「文化遺産デジタル化と国際協力における日本のこれまでとこれから」

文化遺産国際協力コンソーシアムアジア太平洋部会委員・公立小松大学准教授でCIPA日本国内委員会主査の野口淳氏からは、日本がこれまで国際協力の場で果たしてきた文化遺産デジタル記録の役割が歴史的に振り返られ、2024年に再始動したCIPA日本国内委員会を軸とした今後の方向性が示されました。「日本の発表では、地域コミュニティや小さな勉強会など、周囲と協力しながら共に育つ姿勢が、ヨーロッパとの対比で印象的だった」という参加者の感想にも表れているように、両国のアプローチの違いと共通性が浮かび上がる発表となりました。

講演3:安倍雅史氏「文化財とデジタルドキュメンテーション ―― 現場からの視点」

文化遺産国際協力コンソーシアムアジア太平洋部会委員・東京文化財研究所保存修復科学センター長の安倍雅史氏からは、国際協力の実務現場における三次元計測の実践例が率直に報告されました。成果を示すだけでなく、現場で直面するリアルな課題もありのままに共有されたことで、「現場の本音を語り合う」という研究会の趣旨を体現する発表となりました。

日本側からの講演

5.パネルディスカッション

休憩をはさんだ後半は、文化遺産国際協力コンソーシアムアジア太平洋部会委員・ 芝浦工業大学准教授でCIPA日本代表の岡崎留美氏の進行により、登壇者全員によるパネルディスカッションが行われました。「誰のためのデジタル化か」「地域社会への成果の還元をどう実現するか」というテーマをめぐって活発な意見交換がなされました。

技術が高度化・大規模化するほど、その成果が現場や地域から遠ざかってしまうリスクがあるという認識は、参加者の間で広く共有されました。一方で、ヨーロッパと日本それぞれの文化や制度の違いのなかで、それぞれに合った解決策を模索する必要性についても議論が深まりました。

特に印象に残ったのは、Tucci教授が最後に述べられた言葉です。「単にデータとしてではなく、いかに理解を深め、参加し、協力していくか。人々といかにつながっていくかが課題である」という発言は、会場全体に静かな共鳴をもたらしたように感じました。また、「収集した3Dデータの所有権はどこにあるのか」という質疑も本質をついた問いであり、データの長期保存・国際的なデータ共有の障壁・教育や人材育成の課題など、多岐にわたる議論へと発展しました。

閉会挨拶は、文化庁文化資源政策・記念物課文化遺産国際協力室の萩原和也室長補佐よりいただき、研究会は盛況のうちに幕を閉じました。

パネルディスカッションの様子 オンラインでの登壇者

パネルディスカッションの様子 会場の登壇者

6.参加者の概況

研究会後のアンケートには約50名から回答が寄せられました。年齢層は50代が最も多く、30代・40代がこれに続きました。職業では官公庁・公的機関が最も多く、研究機関や民間企業からの参加も目立ちました。専門分野は考古学、建築学・建築史のほか、さまざまな分野の専門家が集まり、文化遺産に関わる多様なバックグラウンドを持つ方々にご参加いただいたことがわかりました。

研究会全体への評価は非常に高く、ほぼすべての回答者が「非常に興味深い」または「興味深い」と答えました。同時通訳を設けたことへの感謝の声も多く、「大都市から遠く離れた地方に住んでいるため、オンライン開催と同時通訳があったことが大変助かった」という感想も複数寄せられました。また、今回初めてコンソーシアムのイベントに参加した方が参加者の6割以上を占めており、「デジタル化」というテーマが新しい層の関心を引き寄せたことも注目されます。

7.おわりに

デジタル記録は、手段が目的化しやすい分野でもあります。本研究会は、「何のために、誰のために記録するのか」という問いを、国境を越えた対話のなかで改めて確認する場となりました。ヨーロッパと日本が抱える課題の共通性と、それぞれの文化的背景から生まれる固有の視点の豊かさの両方を実感できたことが、今回の大きな収穫であったと思います。

なお、本研究会での議論は、2026年8月26日から28日にかけてフィレンツェで開催されたCHEDAR主催の国際シンポジウム「Digital Ecosystems for Heritage 4.0(文化遺産のためのデジタル・エコシステム)」へと引き継がれ、日本からもCIPA日本国内委員会のメンバーが参加し、発表を行いました。日伊の連携は、今後さらに具体的な協力事業の検討段階へと進みつつあります。文化遺産におけるデジタル技術の活用と国際協力に関心をお持ちの方々のご参加やご助言をいただければ幸いです。

研究会の模様はアーカイブとして公開されています。当日ご参加いただけなかった方にも、ぜひご視聴いただければと思います。

https://www.youtube.com/watch?v=VwIF5KB_YsA

開催概要

文化庁建造物課 文化財調査官/CIPA日本国内委員会