シリーズ「会員往来」(第13回)
シリーズ「会員往来」(第13回)
Correspondence
瀧田 風歌 Fuka TAKITA
第13回の会員往来を担当いたします、日本イコモス学生会員の瀧田風歌と申します。
私は現在、筑波大学大学院の世界遺産学学位プログラムに所属する修士1年生です。
学部時代は早稲田大学の文化構想学部で学びました。様々な分野から自由にカリキュラムを組むことができる学部で、文学や歴史学、心理学、考古学、美術史、文化人類学や民俗学、建築史、博物館学など、自分の興味のままに履修しました。卒業論文では農村地域の文化遺産の保存と活用の実態について調査したものをまとめました。
歴史や文化は子どものころから好きでしたが、学部時代に改めて自分の関心の核を考えたときに、「人間がつくりだすものごと」に強い関心があることに気づき、多様な文化遺産について学べる世界遺産学学位プログラムに進学を決めました。
修士1年生は様々な講義や演習があり、充実した1年間でした。演習では遺産保護に様々な人や組織が関わっていることを実感し、コミュニティの大切さを学びました。また自然遺産についても学ぶ機会に恵まれ、生物多様性の面白さや人間を取り巻く自然の偉大さに新たに気づくことができました。そんな中で、日本イコモスについて講義内でご紹介があり、世界遺産についてより視野を広げたいと思い参加いたしました。
修士の研究では、伊藤弘先生の研究室に所属し、栃木県矢板市の農村地域に残る、大谷石などを使った石蔵を中心とした文化的景観について調査を進めています。
大谷石建物の構法は、大きく張石と積石に分けられます。
張石(写真1)は、江戸後期、板蔵に防火性に優れた大谷石を張ったのが起源で、積石(写真2)は、明治の近代化以降、西洋の煉瓦造や石造の建物の輸入や輸送手段の発達を背景に現れ、主に大正期以降に見られるようになりました(大場 2024:162-163)。[1]


矢板市の張石蔵は大谷石よりも、矢板市から20kmほどの船生という地域で採れた船生石を使うことが多かったようです(現在は採掘を終了しています)。時代が進み大谷石で造られるようになった積石蔵は、輸送手段の発達に加え、地租改正や農地改革によって起こった社会構造の変化を背景に現れたのではないかと考えています。
矢板市の張石蔵(写真1)の中に保管されていた日記には、近所で張石蔵が造られる様子が記されていました。1926(大正15)年には、張石を張り終わったという記述や、竣工の祝に招かれた、上棟式の後の宴会が午前3時まで続いた、といった記述が見つかりました。現在は日常の当たり前の風景の一部となっている石蔵ですが、当時は特別な存在だったのかもしれません。
今後は、実地調査やインタビュー調査によって石蔵の使われ方の変化や張石・積石の構法と立地の関係性を明らかにし、その価値基準について考えていきたいです。
最後に、石材のもつ可能性について印象に残っている文章を、この場をお借りしてご紹介します。
「石はどのような魅力や可能性を秘めているのであろうか。それは石の土着性であると考える。 木材と石材を比較した場合、木材は軽く、移動性に優れているが、石材は重く、遠方への輸送には不向きである。そのため石材は、極力近場での産出・利用となり、地域特有の景観が生み出される。しかも、木材のように、似通った風合いや質感ではなく、含有成分や生成時期・時間、地点によって質感、質量、配色が異なる。石材は、地域の独自性を生むには絶好の資源なのである。」(西山 2021:106)[2]
以上から、地域固有の景観を創り出す石蔵は、その独自性を活かすことに大きな可能性を秘めていると思います。修士論文を通して、その礎を築く一助になれたらと思っております。
瀧田 風歌(たきた ふうか):2025年3月に早稲田大学 文化構想学部 複合文化論系を卒業。2025年4月より筑波大学 人間総合科学学術院 人間総合科学研究群 世界遺産学学位プログラム 博士前期課程に在学中。栃木県矢板市の農村集落に残る、大谷石を中心とした石蔵の町並みについて研究している。
注
[1] 大場修編著(2024)図説附属屋と小屋の建築誌:もうひとつの民家の系譜,鹿島出版会
[2] 西山弘泰(2021), 大谷地区そして大谷石文化の発展を考える~伊豆石に関する視察を通して~, 研究ノート, pp.96-109.