ミリタリー・ヘリテージ及び城郭の築城に関する国際会議「アジア太平洋における城郭の比較アプローチ」参加報告
ミリタリー・ヘリテージ及び城郭の築城に関する国際会議「アジア太平洋における城郭の比較アプローチ」参加報告
Report on the International Conference on Fortifications of Fortresses and Military Heritage Sites, “Comparative Approach to Fortifications in the Asia-Pacific”, Seoul, Korea.
大田 省一 Shoichi OTA

2024年11月1日、ソウル市庁舎を会場に、城郭施設・ミリタリー・ヘリテージをテーマとした国際会議「アジア大洋における城郭の比較アプローチ (Comparative Approaches to Fortifications in the Asia-Pacific)」(主催:ソウル市庁、後援:ICOFORT、韓国ユネスコ国内委員会、ICOMOS-Korea)が開催された。ここ十年来、ソウル市は王朝時代以来のソウル城壁(ソウルの旧名に基づき「漢陽都城(ハニャンドソン)」と呼称)の世界遺産登録を推進しているが、その気運を盛り上げるため、また学術的評価を明らかにするため、各国から専門家を招いての意見交換の場として会議が企画された。
日本からは、ICOFORT国内委員会から三宅理一委員長を含むメンバー数名、また松江市と松本市からも関係者が参加した。会期は2024年10月31日の漢陽都城の現地視察と11月2日の北漢山城の視察を含んだ3日間で、またオプショナルツアーとして、こちらはすでに世界遺産登録がなされている水原華城の見学も用意されていた。会議では、ソウル副市長をはじめとした挨拶から始まり、永年この漢陽都城研究に携わり、世界遺産登録の準備作業をリードしてきたソウル市立大学ソン・インホ名誉教授の基調講演「漢陽の首都城塞:地形と歴史のレイヤーの上における都市遺産の建設」、その後に、中国の明清期の城壁群、インドのアーメダバードの城郭、フィリピンの島嶼上の監視塔ネットワークの順に、各国からのゲストスピーカーによる城郭施設等のミリタリー・ヘリテージを取り上げた論考の発表が続いた。最後に、日本からは三宅理一委員長により、現在作業を進めている日中韓の城郭用語集について、制作方針等の紹介が行われた。この間、ポスターセッションとして、韓国各地の城郭施設に関する講演とともに、日本からは佐藤桂と大田省一の発表があった。最後の総合討論の部では、各国からの講演に対して韓国国内の専門家からのコメントがそれぞれ付された。
この日一日を通した議論からは、城郭施設のとらえ方の多様性が浮かび上がったといえるが、それは、第一に城郭(軍事防衛施設)の概念の多様性である。日本語で「城郭」といえば、戦国時代以来の武家政権の城が思い浮かぶであろうが、中国ではそもそも「城」と「郭」とでは、示す範囲が異なり、明確に峻別される。また、城は都市の意味としても使われる。ここまでは面的なエリアを対象とするが、中国が取り上げた城墻や、今回の主題である漢陽都城にしても、城壁のみの線的な対象を指示している。つまり、城壁(とその付属物)のみを扱い、その内部(宮殿や市街も含めて)には関与しないこととなっている。特に後者では、都城という語感からは離れて、都市を囲う城壁を意味するとされる。そのため、両者とも英訳には “city wall”を使用している。この点では、日本側があくまで面的な城郭、さらには城下町までを射程に入れているのとは、大きく趣を変えたものとなっている。また、中国の事例では、南京城墻と万里の長城との関係も紹介され、一個の都市を越えた防衛線の概念も提示された。この意味では、フィリピンの監視塔ネットワークは群島域に散らばった点のネットワークからなるもので、ミリタリー・ランドスケープの新たな地平が広がった感があった。
第二に、城郭の系譜の多様性である。地域により城郭のあり方が異なるのは言わずもがなだが、そのあり方が、単純に、首都・都城から地方城郭へ、といった国内のヒエラルキーで把握できるわけではなく、ときには国を越えた影響関係の上に成り立っていることが、いくつもの事例から提示された。今回講演中では、アーメダバードを含むインド・グジャラート地方の城郭は、スリランカ起源の城郭概念をもとに発展してきたものであることが述べられていた。我が国でも、古代の朝鮮式山城の導入や、逆に朝鮮半島での倭城の建設などの事例が想定される。帝国主義の時代には、植民地支配のための道具として、防衛施設ネットワークが構築された歴史もある。フィリピンの報告では、スペイン植民地でも太平洋地域とラテンアメリカ地域の違いについても目が行き届いていた。このような一国史に留まらずに国境を越えた事例に触れることができるのも、国際的な討論の場の醍醐味であろう。
ただし、これらの多様性・事例の豊富さは、また一方では難題を投げかけていることも認識しておかねばならない。会議自体が終わったあと、ICOFORTの日中韓の委員が別室に集まり、現在進めているグロサリーの編集会議を持った。国際的な比較では共通点も多い3か国だが、決定的に相容れない点も多い。この場では、国別の作業で迅速な進展をみせる中国側がリードしている感があった。先述の首都の城墻と国境の防衛性という観点では、中国では強固な事例がすぐに提示できるが、翻って日本国内の事例を探してみても、元寇に備えた防塁や飛鳥時代の水城くらいまで遡る必要がでてきてしまう。これでは、折角、このグロサリーの事例を16-17世紀以降とするという時代的区切りについて、3か国間で合意を得たことが意味をなさなくなってしまう。以上は対象事例からくる問題であるが、他方では、そこに認識の問題が被さってくることもある。先述の通り、中国と韓国では、世界遺産の候補としては城墻という線的な対象に限っているのは、それぞれの御家事情もありそうである。中国では、北京の都城の中で、各門と宮殿群を貫く中軸線自体がクローズアップされて世界遺産候補とされているし、韓国でも都城内の中枢である宮殿は、昌徳宮がすでに世界遺産になっている。もちろん、このような違いがあるにしろ、共通項を見出すことには意味があるはずで、日本の城郭・城下町を世界にアピールすることにつながっていくことにもなる。編集作業は今後も続けられるので、日中韓の城郭について、新たな視点や、俯瞰してみることの重要性が提示されることを期待したい。
ソウル市庁舎での国際会議の前日には、漢陽都城の現地視察が行われた。ソウル市の中心部を大きく囲んでいる城壁の全貌をうかがうことは難しいが、訪問地は要所要所を抑えたかたちで組まれていた。まずは漢陽都城博物館へ向かい、模型や航空写真による城壁の紹介、歴史的史料の展示や修復・復元作業の紹介などをみた。この博物館は東大門に隣接した立地で、背後の丘陵地の尾根線を伝って城壁が延びる様子を実際に歩いて体験できる。城壁には民家がすぐそばまで迫っているところもあり、かつてはスクォッター地区のようになっていた城壁際の様子もうかがえた。その後、旧ソウル市長公邸脇の城壁跡発掘現場を見学し、隣接する城壁復元工事も見ることができた。視察ツアー中、眺望のよい場所をいくつか訪れたが、市街地を囲んだ山並みの稜線をたどって延々と連なる城壁の様相は、雄大な印象を与えるものであった。500年以上にわたる朝鮮王朝時代に、都を守るよすがとして築造された漢陽都城には、確かに歴史的遺産としての重みが感じられたが、一方で、その長い歴史を映し込むには、復元デザインは若干画一的なきらいも見受けられた。

現地視察は会議の翌日にもセットされ、今度は北漢山城を回った。こちらは、緊急時の避難地として整備されたもので、漢陽都城の北側に位置している。今回の会議でのソウル市からのプロポーザルでは、漢陽都城に加えてこの北漢都城、さらに両者をつなぐ湯谷台城を併せて、一体化した城郭として世界遺産を目指したいというものだった。全体エリアとして、首都の城壁としては世界最大規模になるという。湯谷台城は、実態としては構築物としての城壁は一部のみで、あとは天然の要害たる山並みを加えて城郭とみたてている。これを加えたのは、南漢山城への対応かと思われる。この南漢山城は、やはり戦争時などの避難地としてソウル東南郊に建設された山城で、王が逃げ込めるように行宮も用意された山城都市である。こちらは先行して世界遺産に登録されているが、その際のOUVとして、築城技術の成果や有事の際の臨時首都という点が主張されている。北漢山城さらに漢陽都城としては、これとは異なった特色を打ち出す必要がある。そこで打ち出されたのが、連結した城郭による首都防衛機能ということだったかと察する(南漢山城は独立した城郭である)。さて、その北漢山城だが、ソウルの北の守りである北岳山へと続く山脈のただ中にあるため、全体が山地であり、その稜線上に城壁が築かれている。漢陽都城とて、その点では同じなのだが、より険しさが際立っている。この山並みだけでも天然の要害としては十分な気がするが、城壁を加えたのは、外敵への備えが現実的に必要だった朝鮮王朝の危機意識の表れなのだろう。その山地のなかの僅かな平坦地に行宮跡がある。ただし、ここは王の避難地としては使われたことはない。朝鮮王朝は何度か外患に襲われたことはあるが、1636年に清朝に攻められた際は、南漢山城が王の避難地として実際に使われている。かたや北漢山城は、王朝時代こそ出番がなかったが、ずっと年代を下った後にその役割を果たす機会が訪れた。朝鮮戦争時に北との攻防戦の舞台になったのである。山城の西大門の城壁には、その際の砲撃の弾痕が残っているのを目にすることができた。
現地視察では、すばらしい秋晴れに恵まれ、天然の要害の自然と人工の綾なす造形美を堪能することができた。当日は週末だったこともあり、トレッキングに訪れる人々の姿も多く見受けられた。首都の大都市圏のただ中にあって、この山城はすでに市民に親しまれるヘリテージになっているといえよう。
行政区分上では、北漢山城は高陽市、漢陽都城はソウル市と別個になってしまうが、自治体間の連携も、今回の会議・視察の実現に結実している。今回、我々の接遇に当たっていただいた市職員のみなさんのきめ細やかなホスピタリティにも感服したし、英語で説明していただけたのも、国外へ向けての発信への意気込みが感じられた。3日間にわたる会議・視察に参加して、城郭という防御施設のいろいろなあり方・かたちをみることができた。何を、どのように(どのような構えで)守るのか、ということには、その時代、場所によっても大きな違いがあるようだ。そうして、これは日本の城とはなにかということを考えさせられる契機を与えられた気がしている。
(京都工芸繊維大学)