60年の時を超えて ―ベニス憲章を作った先人達への想い―


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60年の時を超えて ―ベニス憲章を作った先人達への想い―

Respecting the Fathers of the Venice Charter

田原 幸夫 Yukio TAHARA

図2 ICOMOS 「MONVMENTVM」 (1967~1982年発刊)
図 ICOMOS 「MONVMENTVM」(1967~1982年発刊)

日本イコモスの憲章小委員会・ベニス憲章新日本語訳WGのメンバーとして、イタリア文化会館でのベニス憲章60周年を記念するシンポジウムへのお誘いがあり、参加させていただきました。そもそも私がベニス憲章に出会ったのは、1980年代に、ベルギーのルーヴァン大学大学院のコンサーベーションセンターに留学して、憲章の草稿を書かれたレイモン・ルメール先生のもとで、コンサーベーションデザインの実践教育を受けた時でした。このセンターには、ルメール先生だけではなく、ベニス憲章の草稿を一緒に作成された同じベルギー人のポール・フィリッポ先生や、憲章起草メンバーの一人で、バルセロナのガウディ研究所の所長でもあったホセ・バッセゴーダ=ノネル先生といった方々が講師として来られていました。そしてその先生方からは、憲章の作成に当たって、イタリア人のピエーロ・ガッゾーラ先生やロベールト・パーネ先生の貢献が大きかったこともお聞きしていました。今回、そのパーネ先生のお孫さんであるアンドレア・パーネ先生の映画会と講演会に参加できたのは、私にとって願ってもない貴重な機会でした。

当日、第1部で上映されたドキュメンタリー映画は、ベニス憲章のできた当時の状況をリアルに伝えて非常に興味深いものでした。戦後のイタリアの都市の復興における問題、またワルシャワの街区の復元について、モノだけではなく、人々の想いをどのように繋いでいくか、といった問いかけは、現代の文化遺産においても継続する課題であると思いました。第2部のパーネ先生の講演では、「ベルギーのルメール教授が、イタリア語の草稿を格調高いフランス語に翻訳してくれた、と聞いている」とのお話があり、当時の関係者の方々の“同志”としての熱い想いを感じたものです。そこで講演後パーネ先生に、ルメール先生の書かれた論文 「PRÉMICES DE LA CHARTE DE VENISE」 をお送りしたところ、大変喜んでくださり、丁寧な礼状もいただきました。前掲の論文には、ベニス憲章起草に至るまで、憲章の作成に大きな貢献をされたイタリア人関係者のお名前と役割も、詳しく紹介されていたからです。またパーネ先生は、私がお爺様の世代の先生方と直接コンタクトした人間であることにも驚かれて、講演後の関係者へのメールに以下のように書かれていました。

I am particularly grateful to Prof. Tahara for being present and actively contributing to the debate: it was very exciting to think that he had direct contact with the fathers of the paper, such as Lemaire and Philippot.

私にとっても、ベニス憲章60周年のイベントでパーネ先生とお会いできたのは、大変“exciting”な出来事でした。

ところで、私がベルギーに留学していたころ、国際ICOMOSでは「MONVMENTVM」という機関誌を毎年発行しており、その編集オフィスはルメール先生の研究室でした。先生は、日本から来た何も知らない留学生のために、発刊以来の機関誌を纏めて提供してくださり、私はそれを今でも大切にしています(図)。今回のシンポジウムに参加後、改めてページをめくると、編集責任者にはガッゾーラ先生など、ベニス憲章の起草に関係された方々のお名前が確認できました。また第2巻にパーネ先生、第3巻にガッゾーラ先生が寄稿された論文も発見しました。ベニス憲章60周年を記念して開かれた今回のシンポジウムは、ベニス憲章とICOMOSについて、自分が今まで気付かなかった多くのことも教えてくれたのです。これを機に、手元にある「MONVMENTVM」を読み返し、混迷する現代の世界において、先人の努力を改めて確認し、その崇高な理念を受け継いでゆかなければ、と思っています。

最後に、今回の素晴らしいシンポジウムを企画・開催していただいたイタリア文化会館の関係者の皆様、そしてアンドレア・パーネ先生とウーゴ・ミズコ先生に心からの御礼を申し上げます。

ルメール教授と筆者(1992年 教授と横浜で)

(ヘリテイジ・デザイン・アソシエイツ代表)