被災建造物復旧支援事業(文化財ドクター事業)の取り組みから
被災建造物復旧支援事業(文化財ドクター事業)の取り組みから
Insights from the Cultural Heritage Doctor Program: Recovery Support for Structures Damaged by the 2024 Noto Peninsula Earthquake
森本 英裕 Hidehiro MORIMOTO

一次・二次調査の振り返り
2024年3月から被災建造物復旧支援事業(文化財ドクター派遣事業)が開始され、はや一年が経過した。復旧支援委員会の一員として継続して関わっている立場から、この取り組みについてレポートを行いたい。
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本事業は、被災した歴史的建造物の被害状況を調査し、適切な復旧方針・修理案を提案することを目的としている。調査は段階的に実施され、まず一次調査では目視による確認によって、その被害の全体像を把握、続いての二次調査でより詳細な被害状況(野帳の作成、不同沈下・柱傾斜の測定等)の調査が行われた。
石川県では、最も甚大な被害を受けた地域として、一次調査において1,439棟という膨大な数の建造物が調査対象となった。二次調査においても228棟が対象となり、より専門的な視点から被害状況の詳細な把握が進められた。特に能登半島北部地域において、伝統的な木造建築や土蔵などの歴史的建造物が深刻な被害を受けており、緊急的な保全措置が必要な状況がデータからも明らかとなった。
富山県では、一次調査で474棟、二次調査で104棟が調査対象となった。石川県と比較すると被害規模は相対的に小さいものの、氷見市や射水市などでは石川県と同程度の被害が確認されている。
新潟県においても300棟の一次調査、17棟の二次調査が実施され、震災の影響が広域に及んでいることが確認された。
3県合計での調査実績は、一次調査2,213棟、二次調査349棟(2025年4月末現在、継続中)という規模に達し、被災建造物復旧支援事業としては前例のない大規模な取り組みとなっている。これらの調査を通じて、被災建造物の被害パターンや復旧に必要な技術的課題が明らかになった。柱の傾斜や不同沈下の発生、土壁の剥落、屋根瓦の損傷など、ほぼ共通した被害項目を挙げることが可能であるが、その被害の実際は建造物の種別や規模に応じて多様である。こうした被害に対する適切な修復手法の検討が重要な課題として上がってきた。また、所有者の経済的負担や修理の意向、文化財指定・登録への希望なども調査の過程で把握され、今後の技術支援調査の方向性を決定する重要な情報として記録された。
技術支援調査に備えた検討
一次・二次調査の結果を踏まえ、より詳細な技術支援調査の実施に向けて、調査方法と実施体制の検討が行われた。技術支援調査では、これまでの被害状況の把握・調査から一歩進んで、修復方針・応急修理案の提案を行い、また同時にその概算費用の算出を行う。
実施体制については、これまでの震災復旧での前例を参考に、調査は1日に2件程度、調査員は3人体制が基本となった。調査の専門性と効率性を両立させるため、班には建築士会やJIAからの調査員の専門的な技術的判断に加えて、日本建築学会員が必ず1人入ることとして、学術的信頼性を担保することが可能な体制がとられた。

調査方法については、二次調査までの野帳や破損状況、特に不同沈下や柱傾斜といった構造的被害の情報をベースとして、破損状況の詳細確認と修理方針の検討を現地にて行う。調査終了後、調査員各自がそれぞれ所見作成・被害状況写真編集・図面作成・概算費用の算出を行い、それらを調査報告書として取りまとめる。役割分担については、建築学会員が被災建造物の所見作成を担当し、専門的見地から建物の評価を行う。残る2人が主となって図面作成を担当し、修復工事の目安となる図面資料とその概算費用の算出を担う。この役割分担によって、限られた調査時間の中でスムーズな成果物の作成が可能になると想定されている。
修理提案については、所有者の意向と建物の文化財的価値を総合的に勘案した複数案の提示が基本方針として協議・検討された。所有者が金銭的に負担できる範囲で実施する案、最低限の居住機能を確保する仮復旧案、従前の形式・仕様に復する案などの複数の選択肢を提示し、所有者が適切な判断・選択を行えるよう配慮された。
正式な技術支援調査の開始に先立って、モデルケースとして数棟の調査を実施し、上記の方法・体制の確認を行なった。この際に最も検討が必要となったのが、概算費用の算出についてである。近年の物価や人件費の上昇による工事費用の高騰、加えて震災後の状況下のため、概算の算出は困難が伴った。この点については、モデルケースの実施においては想定よりも時間をかけて、実状にあった正確な積算を積み上げ、これを基準として今後の目安算出のための標準化を試みることとなった。
修理と公費解体との間で
震災から一年が経過する中で、被災した歴史的建造物の維持をめぐって深刻な状況が生まれている。文化財的価値を有する建造物であっても、修理の目処が立たないまま時間が経過し、結果として公費解体を選択せざるを得ないケースが相次いでいる。未指定の建造物に加え、最近では登録有形文化財の公費解体を知らせる報道もなされている。富山県高岡市では、国登録有形文化財である伏木商工会議所・谷村家住宅・棚田家住宅の公費解体がニュースで報道され、地域の歴史的景観の喪失危機として取り上げられた。

この背景には、所有者の複雑な心境がある。多くの所有者は建物を残したいという意向を持っているものの、一年経過しても修理の目処がつかず、公費解体の締め切りが迫り、そうせざるを得ない状態に追い込まれている。工事費用の高騰、専門技術者の不足、工事業者の確保困難など、複合的な要因が修理実施を困難にしており、時間的制約の中で苦渋の決断を迫られているのが現状である。
技術支援調査の開始
公費解体の報道がなされる中、この5月から技術支援調査が本格的に開始された。これまでの被災状況調査から一歩進み、具体的な修復の基礎となる技術支援調査が実施されることで、ようやく復旧に向けた次の段階に入った。調査状況を見ると、各地域の実情に応じた要求のもと調査が展開されている。

石川県では、「令和6年能登半島地震復興基金(以下、復興基金)による修理補助を前提として、登録有形文化財への登録推進と並行して調査が進められている。未指定の建造物についても復興基金の補助対象となることから、技術支援調査によって建造物の歴史的・文化的な価値を明らかにし、時間との兼ね合いの中でいかに多くの修復を積み上げられるかが問われている。例えば七尾市などは、歴史的な街並み・景観が面的に大きな被害を受けた地域として、地域の復興と歴史的建造物の復旧とが切り離せない関係にあり、修理の棟数がそのまま地域の復興を測る指標となると思われる。
一方、富山県では所有者の意向をより尊重したアプローチがとられている。氷見市・射水市・高岡市等で調査が予定されており、それぞれ異なる被害状況と地域特性を持ちながらも、石川県の事例と同程度の大きな被害を受けたものも多く見られる。しかしながら、復興基金が設けられなかったことが、所有者、あるいは助けたいと思う周囲の人の意欲に大きな影響を与えている。こうした状況を受けて、各自治体では補助金メニューの拡充と多様化を図り、なんとか可能性を高めようと取り組んでいる。
最後に、この一月で実施した数棟の調査において特に印象的であったのは、訪ねた建物の所有者の皆様がとてもよく話をしてくださる、ということである。建物や家族の歴史、地域での役割など、調査員のメンバー一同、予定の時間を超えて聞いてしまうことも度々である。経済的な困難や技術的な課題はあるものの、愛着のある建物を壊したくないという、ごくシンプルな気持ちからくるものである。被災調査は単なる技術調査にとどまらず、所有者の思いと専門的知見を結びつける重要な役割を担っている。調査を通じて、被災建造物の復旧が技術的な問題解決だけでなく、地域の再生の営みでもあることが改めて認識される。

(レトロフィット合同会社 代表/早稲田大学理工総研嘱託研究員)