第23小委員会(ヘリテージ・エコシステム)の設立について


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第23小委員会(ヘリテージ・エコシステム)の設立について

On the Establishment of the 23rd Subcommittee (Heritage Ecosystem)

河野 俊行 Toshiyuki KONO

サムネイル

2025年6月14日の拡大理事会において、第23小委員会としてヘリテージ・エコシステム小委員会の設立が承認されたため、この新しい小委員会について、設立の背景と活動目的を中心に説明したい。

背景

「富岡製糸場と絹産業遺産群」世界遺産登録10周年と、「オーセンティシティに関する奈良ドキュメント」の採択30周年を記念して、日本イコモスと群馬県共催にかかる国際シンポジウムが、2025年1月10日〜11日に高崎市で開催された。このシンポジウムの基本コンセプトとして採用されたのがヘリテージ・エコシステムである。

シンポジウムの報告希望者は国際公募し、8名のメンバーからなる国際学術委員会によって選考される。選ばれた応募者は自費で参加し、ヘリテージ・エコシステムの視点から二日間しっかりとグループ討議に参加し、会議後にヘリテージ・エコシステムのアプローチを反映させたペーパーを執筆する。査読を経て優秀論文を出版する。これが本シンポジムの採用したかたちである。そして、このシンポジウムの成果物として、会議参加者全員によって採択された文書が、「ヘリテージ・エコシステムに関する群馬宣言」(以下、群馬宣言)である。群馬宣言は、会議前に予備案を配布し、それに対するコメントを受けて会期中に数回の改訂を経て、会議最終日に全体討議に付して議論、修正して採択されたものである。討議中心のシンポジウムであったため、参加者のコメントは多岐に渡り、極めて建設的な起草作業となった。参加者の群馬宣言に対するオーナシップの意識は強く、帰国して是非ヘリテージ・エコシステムを広めたい、使いたい、という声が多く聞かれた。

写真1 シンポジウムにおける全体セッションの様子

ヘリテージ・エコシステムとは

元来、エコシステムという言葉は、1930年代に生物学の領域で提唱されたものであり、「ある地域に生息するすべての生物群集と、それを取り巻く環境とを包括した全体」(デジタル大辞泉、2025年6月15日閲覧)と説明されている。また、概して、「種」と「種の遺伝子」がそれぞれ多様性を保ち、これらを支える「環境要素」と共に複雑な循環関係を築いて、これを脅かすリスクに対する強靭性を持つと考えられている。この言葉は、今や多くの分野で用いられるようになっているが(例:イノベーション・エコシステム)、文化遺産の文脈でこの言葉を用いたのは、世界的にみても、上述シンポジウムのコンセプトと群馬宣言を嚆矢とするように思われる(最近、文化的景観関連でエコロジーという言葉を使った論文は存在するようではある)。ヘリテージ・エコシステムは、文化遺産が有形無形の多様な要素から成り、社会において多面的な機能を持つことを想起させるために提唱された理念、アプローチである。「遺産の種別」と「各遺産に関わる人々」が多様となり、これらを支える自然、社会、経済等の「環境要素」との相互補完性を発展させ、人、物、金等の適度な循環関係を築くことで、遺産が時代の変化に対応する力を高めるという考えを取るものである。

群馬県には多種多様な絹産業遺産が広く残り、継承の努力がなされているが、世界遺産の4つの構成資産(富岡製糸場、荒船風穴、田島弥平旧宅、高山社跡)に社会の関心が偏ることで、この全体像が見えにくくなっている。世界各地でこれと同様の課題が認識される中で、ヘリテージ・エコシステムは、オーセンティシティを社会との関係の中で捉えるというニーズとも関係している。

写真2 富岡製糸場繰糸所に展示されるニッサンHR型自動繰糸機

写真3 ニッサンHR型自動繰糸機が現役稼働する碓氷製糸(群馬県安中市)は全国に7件のみ残る製糸工場の一つ

ヘリテージ・エコシステム小委員会活動趣旨

文化遺産は、それが作られた時代とは大きく異なる社会経済状況下に置かれている。その中で、社会との関係性が希薄となり、保護の困難を抱えているものが多く、遺産、人、環境要素の関係性を再構築する視座が不可欠である。2025年1月のシンポジウムでは、同様のニーズが世界各地に存在することが確認された。また2025年5月にナイロビで開催されたアフリカ文化遺産国際会議では、コミュニティーが核となる文化遺産が豊かなアフリカでは、ローカルな遺産をグローバルなレベルの議論に繋げるための概念装置が見当たらなかったところ、ヘリテージ・エコシステムというアプローチに大いに期待できる、という声も聞かれた。こうした状況に鑑み、本小委員会では、ヘリテージ・エコシステムという理念をイコモス国際憲章の流れ等の中で客観的に裏付け、この理念の具現化に資する多様なモデルを収集・分析し、方法や戦略、手段、留意点等を多様に示すことを目的とする。また、この過程で、国際的な対話を促進し、この理念の国内外における発展と定着を図ることを目的とする。

本小委員会は、「オーセンティシティに関する奈良ドキュメント」の採択から40年となる2034年までに、遺産と社会との繋がりを多角的に捉える視点を国際社会に広く根付かせ、文化遺産保護の裾野を拡大し、地域の持続的な発展に寄与することを目指している。

体制

以下のメンバーを初動のための委員とし、月1回程度の会合を開きながら、調査研究を進める予定である。メンバーは随時募集しているので、参加希望者はお申し出いただきたい。

主査: 河野俊行

幹事: 山田大樹

委員: 岡崎瑠美、岡橋純子、苅谷勇雅、下間久美子、松浦利隆、マルティネス・アレハンドロ、宮崎彩、向井純子、武藤美穂子、八並廉、脇園大史

当面の活動目標

  1. イコモス国際憲章の構造を整理し、その中におけるヘリテージ・エコシステムの位置づけを明らかにする。
  2. ヘリテージ・エコシステムの萌芽的状況にあると捉え得る事例を収集・整理・分析し、これらがヘリテージ・エコシステムとして成長するための取り組みに協力する。
  3. ヘリテージ・エコシステムの実現に資する様々なアクターに働きかけ、当該概念を地域で具現化するための取り組みに協力する。群馬県は、群馬宣言を利用して文化遺産保護活用政策を充実させていくことを言明され、日本イコモスとの協働が望まれているところでもあり、具体的なアクションを起こしてゆく。
  4. ヘリテージ・エコシステムの実現の可能性と課題を、複数のモデルを用いて示す。
  5. 文化的景観国際学術委員会(ISC-CL)等との協働の下に、2026年イコモス総会(マレーシア、クーチン市)のシンポジウム(テーマ:Living Heritage)にパネルを立てる。

(ヘリテージ・エコシステム小委員会主査/九州大学高等研究院・特別主幹教授)

(写真提供:下間 久美子)


群馬宣言は以下のURLから入手可能

「富岡製糸場と絹産業遺産群」世界遺産登録10周年記念 国際シンポジウム

ヘリテージ・エコシステムに関する群馬宣言