国際シンポジウム「Perceptions of Heritage and Resilience」とAGAの関連イベントについて


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国際シンポジウム「Perceptions of Heritage and Resilience」とAGAの関連イベントについて

The International Symposium “Perceptions of Heritage and Resilience” and Related Events

宮﨑 彩 Aya MIYAZAKI

16日のシンポジウムでの発表の様子(撮影:大窪健之氏)
16日のシンポジウムでの発表の様子(撮影:大窪健之氏)

2025年10月11日から19日までルンビニとカトマンズの2か所でICOMOS NepalによるAGAが実施された。本報告では、その中でも16日、17日の2日に渡り実施された国際シンポジウムと、非公式プログラムを含む19日、20日の2日間カトマンズで行われた関連イベントについてまとめた。なお、今回のAGA、国際シンポジウムは、同年9月8日に発生した、政府によるSNS利用規制に対抗するための大規模デモを受け、残念ながら一部の発表者が渡航を自粛することとなったようだ。しかしながら、シンポジウム開始前に改訂版のプログラムが共有され、一部がオンラインセッションに移行されるなど、参加者にとって非常にスムーズな運営だった。

2日に渡りルンビニで実施された国際シンポジウムでは、防災とレジリエンスに着目した「Perceptions of Heritage and Resilience(文化遺産とレジリエンスに関する認識)」というテーマで計29セッション、150件の発表が行われた。シンポジウムで想定される災害には自然災害だけでなく人災(戦争、テロなど)も含む。そのため、各セッションはそれぞれ①Navigating and negotiating conflict(対立を対処し、解決する)、②Withstanding the forces of nature for conservation and development of heritage(遺産の保全と発展のため、自然の力に耐える)、③Leveraging heritage for peace(遺産を平和構築に活用する)のサブテーマのどれかに該当するように設計された(日本語は筆者訳)。今回のシンポジウムでは、個人の発表だけでなく、部分的に事前準備から当日の国際シンポジウムのラポルトゥールまで、運営のサポートも行った。それらも踏まえてまずシンポジウムを振り返ってみたい。

シンポジウムについて

応募原稿の査読段階から非常に印象的だったのは、中国からの発表原稿の多さであった。アジア開催であるため、昨年のOuro Pretoよりもアジア人出席者が全体的に多く感じたが、現地会場では発表をする中国の若手研究者(大学院生含む)が存在感を放っていた。学生が現地に渡航して発表できるような支援制度があると説明している人もあり、実際に専門家と対面し、ネットワーキングをしていくために国際的な場で発表できるような機会を提供できるシステムの重要性を改めて実感した。

全体的な発表内容で特に印象的だったのは、近年の世界情勢を色濃く反映する、現在も戦禍を被っている国から広く発表が行われた点である。今回の私の発表もサブテーマ①に該当し、戦争や対立を大学教育でどのように学ぶべきか、それはひいては長期的に平和教育となり得るのか、という点に着目したものである。社会科学のアプローチでどのように文化と対立を扱うのか、一つのケースを提示した。具体的には、教育の手法として、広義の文化に着目し、アクティブラーニングに基づいた研修を設計することで、直接的には扱っていない戦争について分析し、平和構築のために誰が何をできるのかを学生たちが考えることにつながることを説明した。2025年夏学期に企画、実施、終了した国際研修『戦争と文化』を検証材料として発表を行ったところ、特に戦禍にさらされている国々の専門家から好評をいただいた。同じパネルで発表されたイスラエルの研究者は、同じように対立の歴史を包含せざるを得ないイスラエルの歴史的建造物を宗教や民族の異なる学生たちとどのように分析し、保全するためのアイディアを創造させるのか、建築学の観点からのアプローチを提示された。大学教育レベルで対立をどう扱うか、それがひいてはどのように平和教育につながるのかを議論するという意味で、非常に重要な機会となった。

ラポルトゥールを担当したセッションでは、同様にこのテーマを扱うことの難しさも体験することとなった。特に戦時下にある国においては、実際の戦闘行為により文化遺産や自然環境への破壊を防ぐのが非常に難しいことと、そこでどのような判断を仰ぐのかが常に試されている点が浮き彫りになった。そんな中、戦闘が発生した地域内にある文化サイトの管理者の発表が物議を醸した。発表者は、自分が管理責任者であるサイト内に『敵/テロリスト』が侵略してきた際、あらかじめ価値のある動産文化財は地中に埋めていたので、建造物への影響を最小限にするため、自国の兵に対し、建造物の壁は外しながら屋根は狙っても良いという指示を出した、というのだ。また、発表中、対戦相手国の領土を『敵地』と呼び、実際に戦闘行為を行っている自国兵の末端には相手国の文化遺産の価値は理解できないので、(相手国の文化遺産に対する)破壊行為は致し方ないことだ、とも発言した。これに対し、会場内からは、戦闘状態にあったとしても相手を敵と呼び排除することは対立しか生まないというコメントと、あなたは文化遺産の専門家としてその相手国の文化遺産をどのように価値づけ、評価しているのか?という質問が出された。これに対し、発表者から、アクティブな戦争状態の際には文化遺産への破壊(自国、相手国含め)は致し方がないという説明が付け加えられただけだった。シンポジウム中、参加できなかった他のサブテーマ①のセッションでも同様に、戦争地域において破壊されたり、また利用されたりする文化遺産の政治的扱いについて疑問を持つような発表がされた、という他の参加者の意見も複数聞いた。

ユネスコ憲章の前文が謳うように、『戦争は人の心(minds)の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦を』(1945)築いていくためには、他者に対する無理解が戦争を引き起こしたという教訓を受けて、文化や教育を通じた相互理解の重要性を考えようとする理想主義的なアプローチが重要である。現在、戦争状態に陥っている地域から参加した発表者の多くは、最前線で文化遺産と戦争について、専門家として日々この問題に対峙しながら、いかにして守っていくべきか、悩みながらも保全管理制度を構築したり、ドキュメンテーションを行ったり、国際支援を受けながら修復を行っている様子を発表していた。特に、戦後を見据えながら、コミュニティ、復興していく国家、そして国際社会とどのようにこれらの文化遺産を保持していくべきなのか考えたい、という前向きで、切実な問題を提起していたのが印象的だった。故に、当該サイトマネージャーが、自分の責任下で管理している文化遺産に向けて、敵を破壊するために自国の兵隊が銃器を向けても良いとし、その破壊行為の範囲と規模を指示した、というコメントの異質さが際立った。私たちは、特に戦争の渦中にいる国々において、どこまで平和や(相互)理解のために文化遺産を守ることが可能なのだろうか?

カトマンズでの被災建造物を目の当たりにして

19日からは会場をカトマンズに移し、ISC Cluster Eventとして『Between two earthquakes: Lessons from Kathmandu and Beyond (Commemorating 10 years of Gorkha Earthquake in Nepal)』が実施された。定期的に大規模な地震を経験しているネパールにおいて、それぞれの地震の間にどのような対応を取ってきたのか、どう準備していくべきなのか、という発表だけでなく、他国におけるドキュメンテーション、防災、構造計算、技術継承などの事例も紹介された。その後、参加者はカトマンズとパタンの2エリアに分かれて、2015年のゴルカ地震からどのように復興してきたのか、建物をめぐりながらネパールの専門家達から直接話を伺った。最後にパタンの王宮だったパタン博物館の庭でネパール式のディナーをいただき、今回のAGAは正式に終了した。

19日に実施されたカトマンズのISCイベント

ところが幸いなことに、今回のAGAの運営で中心的な人物の1人であるKai Weise氏が、翌20日も一部の参加者達に向けて、さらに詳しいガイドをしてくださるという、非常に貴重な機会に私も参加することが叶った。特に、カトマンズの入り組んだ街の構造とコミュニティ、空間や建物の用途が、度重なる災害や都市計画によってどのように変わってきたのか、旧市街地の迷路のような中庭に入り込みながら説明してくださった。大通りに面した建築物はこの10年間で大分修復されているものの、耐震工事がされているわけではない。また、実際に建て直された建造物の建築基準について、行政による確認も十分ではないとのことであった。中庭に入っていけばいくほど、地震で崩れたままの建造物や棒で支えているだけの被災建築も残っていて、10年経ってもなお震災被害は現在形で残っている様子がうかがえた。

19日のカトマンズツアーの様子

カトマンズ盆地の世界遺産には、王宮があったカトマンズ、パタン、バクタプルの3つのダルバール広場も構成資産として含まれているが、各地域では行政の在り方や支援制度も違う。カトマンズ市はネパールの中心であることから、それでもまだ比較的修復が進んでいるようだが、後日訪れたバクタプルは未だに王宮などの中心的な歴史的建造物においても修復が遅い様子がうかがえた。

20日は街中に残る震災後の軌跡を歩いた

人災、自然災害を問わず、壊れてしまった文化遺産をどこまで、どれくらい、誰が、どのように修復できるのか、今回のAGA、国際シンポジウム、フィールドスタディーを通じて改めて考えさせられた。特に、文化遺産の専門家として、何を認め、何を推し進め、何に対してNoを突き付けるべきなのか、今後ますます難しい決断を迫られることになるだろう。その時、理想主義はどこまで実現可能なのか、イコモスとして議論し続けていくことが求められているように思う。

(AP地域日本EP代表/東京大学教養学部教養教育高度化機構)