ハヌマンドカ王宮でのサイトビジット
ハヌマンドカ王宮でのサイトビジット
Report on the Site Visit of Hanumandhoka Palace in Kathmandu at ICOMOS Scientific Symposium 2025 in Nepal
淺田 なつみ Natsumi ASADA
ICOMOS Scientific Symposium 2025の最終日10月19日には、ICOMOS ISC CLUSTER SESSION ‘Between Two Earthquakes: Lessons from Kathmandu and Beyond’ (Commemorating 10 years of Gorkha Earthquake in Nepal) と題された、2015年ゴルカ地震後の震災復興に関するセッションが行われました。
午前は、カトマンズ市庁舎で開催されたセッション ’ISC Contributions’ において、以下の4つのトピックに関する報告が行われました。
- Mapping Risk: Digital Documentation and Preparedness in Vulnerable Heritage Landscapes (Session Coordinator: CIPA Heritage Documentation)
- First Responders: Emergency Actions and Coordinated Response for Cultural Heritage (Session Coordinator: ICORP)
- Strengthening the Past: Structural Recovery, Standards, and Policies in Post-Disaster Heritage Conservation (Session Coordinator: ISCARSAH)
- Traditional Knowledge and Skill: The Role of Traditional Woodcraft and Craftspeople in Cultural Recovery (Session Coordinator: ISC Wood)
日本からは、立命館大学の大窪健之教授が上記2(ICORP)のセッションにて震災後のカトマンズ盆地での調査活動を報告されました。
午後は、世界遺産カトマンズ盆地の構成資産であるハヌマンドカ王宮広場とパタン王宮広場と、2グループに分かれてサイトビジットが行われました。
ハヌマンドカ王宮では、2015~2020年にかけて東京文化財研究所が文化庁委託「ネパールの被災文化遺産保護に関する技術的支援事業」を実施しており、筆者は2018年より末席にて事業に関わらせていただきました。その時に見聞したことも併せつつ、2025年現在のハヌマンドカ王宮の震災復旧の現状を中心として、サイトビジットの様子を少しご紹介したいと思います。

ハヌマンドカ王宮のサイトビジットは、ICOMOS NepalのKai Weise氏とAnie Joshi氏の案内で、主にハヌマンドカ王宮内のロハン・チョクとバサンタプル・バワン、アガンチェン寺、ガディ・バイタク、カシタマンダパを見学しました。

ロハン・チョクとバサンタプル・バワン
ロハン・チョクでは、中庭をロの字に囲む3階建煉瓦造の建物で、四隅にそれぞれ異なるかたちの塔が載っています。震災で、これら4塔のうち2塔の上部が倒壊するという甚大な被害がありました。
震災後、ロハン・チョクは中国政府の支援で復旧が進められました。現在は復旧が完了し、内部の一般公開が始まっています。4塔の中で最も高い9層塔バサンタプル・バワンの最上階に上がると、ハヌマンドカ王宮と周辺市街を一望できます。

サイトビジットでの説明によると、震災以前に行われた過去の修復で、バサンタプル・バワンの煉瓦壁体には構造補強としてRC製のバンドが挿入されていたそうですが、これを再建時に復旧するか否かについて議論があったそうです。結局、再建工事では、このRCバンドが既存建物と同様に挿入されたとのこと。後述するカシタマンダパでは、近過去の不適切な修復が、地震時に建物の全壊を生じさせた可能性が指摘されていますが、バサンタプル・バワンでは、こうした過去の修復と地震被害の関係がどのように評価されたのか気になるところです。サイトビジットで詳細は語られていませんでしたが、今後、修理工事報告書の刊行が待たれます。
アガンチェン寺
2つの中庭が連結するモハン・チョクとスンダリ・チョクは中世に王家の住まいであったとされる場所です。3階建煉瓦造モハン・チョクの南西隅に、王家の神を祀る3層塔アガンチェン寺が載っています。アガンチェン寺そのものは震災で大きな被害を受けませんでしたが、直下の構造体の煉瓦壁体および木構造が王宮広場の側に傾き、3層塔と共に倒壊する危険性が高い状態でした。
震災後、日本政府の支援で、震災復旧のための調査と計画が進められました。しかし、宗教的に重要な場所であるという理由から、地元コミュニティによる海外支援事業への反対、アクティビストの活動、政治的な扇動など、複雑な事態が背景に蠢くなか、復旧は停滞することとなりました。その経緯については、ICOMOS info誌2024年春号に掲載された東京文化財研究所副所長兼文化遺産国際協力センター長 友田正彦氏の寄稿に詳しく記されています。その後、ネパール政府考古局がアガンチェン寺の修復事業を進めることになりましたが、聞くところによると、入札不調や何等かの事情によって、未だに復旧は進んでいません。2025年10月現在、アガンチェン寺の広場側に鉄骨の櫓を組む作業が行われており、何等かの工事が始まりそうな様子がみられました。

カシタマンダパ
カシタマンダパは、木構造と煉瓦造との混構造による3層塔で、創建は7世紀に遡り、地震前の建物は17世紀の建築とされています。長い歴史の中で、休み屋、ホール、店舗、宗教的儀礼の場などとして様々に使われてきましたが、ゴルカ地震では、建物が完全に倒壊し、多くの方が建物の下敷きとなって命を落としました。
地震後、カシタマンダパの再建は、紆余曲折を経ながらも、ネパール人専門家や関係するコミュニティメンバーらで構成されるコミッティのもとで実施され、地元コミュニティ参画による再建事業の成功例としてネパールでは語られています。しかし、再建における建築構法の選択や既存材料の取替、保存方法など、再建の具体的な手法については、多くの異論が交わされたそうです。今回のサイトビジットでは、カシタマンダパ内の神像の新設を巡る裁判の話が紹介されていました。地元コミュニティが、地震で損傷した神像を信仰の対象として拝むことはできないという理由で、新しい神像を製作して建物内に安置したところ、それに対して、ネパール国内の文化遺産活動家らが、既存の神像は歴史的な遺物であるため修理して元の場所に再設置するよう求めて裁判を起こしたとのこと。裁判は現在も判決待ちの状況だそうです。


これらハヌマンドカ王宮の事例からも、ゴルカ地震後の建築遺産の修復及び再建、特に宗教的なモニュメントの再建においては、地域コミュニティ、文化遺産専門家、宗教組織、政府組織、政治家、文化遺産活動家ら、多くのステークホルダーが関わり、異なる価値観が交錯あるいは相反するなかで、再建事業の意思決定がなされた様子が窺えます。
私自身、震災後のネパールで様々な調査に関わるなかで、その復興過程の混沌の様相にこそ、建築遺産をめぐる多様な価値認識の在り方を理解する鍵があるのでは、と感じているところです。
カトマンズ盆地は、光の祭り「ティハール」を控えて町全体がライトアップされ、祝福の雰囲気の中でICOMOS Scientific Symposium 2025は閉幕しました。
(東京文化財研究所 文化遺産国際協力センター)