オーセンティシティという言葉をめぐる最近の状況、そして筆者所感
オーセンティシティという言葉をめぐる最近の状況、そして筆者所感
Recent Progress of the Discussion on Authenticity with the Author's Commentary
稲葉 信子 Nobuko INABA
2024年はヴェニス憲章60周年、奈良ドキュメント30周年の年だった。これら二つの文書について、人々の共通する関心はオーセンティシティの概念にある。本稿では、まず世界遺産条約におけるオーセンティシティの議論の最近の動きをお伝えしたうえで、筆者の考えるところを書かせていただこうと思う。
アフリカの文脈におけるオーセンティシティの議論
2025年5月ケニア・ナイロビで、アフリカの文脈におけるオーセンティシティの概念についての国際会議 International Conference on Cultural Heritage in Africa: A Dialogue on the Concept of Authenticity(以下 ナイロビ会議)が開催された。この会議については、すでに宮﨑彩氏によるインフォメーション誌2025年夏号の報告がある。
ナイロビ会議の開催は、世界遺産委員会により設置され、2024年2月から2025年4月まで計9回開催された条約締約国ワーキンググループ会合Open-ended Working Group(以下 OEWG)での議論に由来する。OEWGの議論は委員国に限らずすべての締約国に開かれていた。解決すべき課題のひとつに、世界遺産リストの不均衡の問題があった。国や地域による世界遺産の数の不均衡である。特にアフリカ諸国、そしてSIDs(小島嶼開発途上国)から現状を批判する発言が続いた。
ナイロビ会議は、日本やフランスなどの支援を得てケニア政府によりユネスコ・ナイロビ事務所(ユネスコ東アフリカ地域事務所)との共催で開催された。その成果 The Nairobi Outcome on Heritage and Authenticity(以下 Nairobi Outcome)は2025年7月の第47回世界遺産委員会に持ち込まれ、そして普通にはないことであるが2025年11月に開催された第25回世界遺産条約締約国総会(以下 締約国総会)でも取り上げられることになった。例えば奈良会議など、世界遺産委員会の要請で開催された会議の成果は委員会に報告が戻り、そして必要な次の手続き、オペレーショナルガイドラインの改訂などに移る。ナイロビ会議は委員会の要請に基づく会議ではなかったためか議題は用意されておらず、ナイロビ会議の成果 Nairobi Outcomeは議事資料として事前に配布されていなかった。委員会では、ナイロビ会議について十分な情報を得ていなかった委員国による慎重意見もあり、次回第48回世界遺産委員会に審議が送られるとともに、まずは2025年11月の締約国総会で議論することになったと理解している。
アフリカの遺産はコミュニティから生まれ、コミュニティにより維持される。それは多元的でダイナミックで常に進化している。コミュニティが価値を定義し、オーセンティシティが定まる。オーセンティシティの指標は多く伝承や習慣など無形の要素で構成される。そのようにNairobi Outcomeはいう。
2025年11月に開催された締約国総会では最後の議題9でナイロビ会議が取り上げられた。議題タイトルは、Authenticity in the context of the World Heritage Convention: Evolution and Impactであった。ここでナイロビ会議の成果を今後どう扱っていくか、オーセンティシティの議論を今後どう進めていくかが議論された。発言した条約締約国のいずれもが共通してオーセンティシティの概念の重要性、そしてケニア政府のイニシアチブを称賛する一方で、ナイロビ会議での成果をどう世界遺産の審査や保全に反映させていくかの本題に入ると、世界遺産センター(以下 事務局)と一部の国、そしてその他途上国を中心とする、数としては多数派となる国の発言の間には温度差があった。前者の意見をまとめれば、すでに1992年文化的景観の導入、1994年グローバル・ストラテジーの採択、そして同年の奈良ドキュメントを経て、オーセンティシティの概念は十分に文化の多様性に対応し、拡充されてきた。今後も議論の深化は必要であるが、直ちに制度に反映させることには慎重でありたいとするものであった。ある国は、ナイロビ会議の成果は、奈良ドキュメントと何ら変わらないと言い、また別の国は、オーセンティシティの議論を地域ごとに行ってそれでよしとすることは、地域相対主義の悪用であるとして、議決のregional、sub-regionalのフレーズにglobalの語を加えた。少数派に含まれる国が多く欧州の国であったことを、どうとらえるのか。南北問題でかたづけてしまうには、問題はそう簡単ではない。新規遺産審査にしても保全状態の審査にしても、世界遺産の審査をどう進めていくか、客観性が求められるならそれをどう担保していくかは、世界遺産リストの考え方、条約の将来にもかかわる問題である。さあそれでは、国際社会における客観性とは何か。
しかし何よりもまず知っておかなくてはならないのは、アフリカ地域の人々の思いであろう。ナイロビ会議の開催に中心的に関わっておられたのが、ユネスコ・ナイロビ事務所の長岡正哲氏であるので、長岡氏からアフリカ諸国がナイロビ会議に何を託していたのか、伺わなければと思っている。
オーセンティシティという言葉について
筆者は、先述のOEWG第2回会合(2024年4月)でアジア・太平洋地域の世界遺産専門家として意見を述べる機会を与えられた。言語圏によるオーセンティシティを含む各種概念の実務における扱いの違い、その扱い方の言語への現れ方の違いの理解が重要であり、英仏の言語で作成されたオペレーショナルガイドラインなど行政文書はそれぞれの国が実務で使う言葉に翻訳できない限り有効ではない。それを可能にする正確な定義がそれぞれの専門用語には必要であると訴えた。特に行政文書である作業指針にはそれが求められる。
先述の2025年11月条約締約国総会で配布された議事資料において事務局もまた、言語圏によって権威、信頼性、継続性、価値をどう表現するかは異なり、アルファベットで綴るauthenticityの語だけでは通用しないとする。ここは筆者が第2回OEWGで述べた意見と同じである。一方で事務局は世界遺産の審査におけるpluralismとuniversalityの概念の間の緊張関係がいまなお未解決であるとも書く。Universalな価値を論じながら、オーセンティシティの審査ではdiversityを考慮しなくてはならない難しさに触れている。世界遺産の審査におけるuniversalityとdiversityの解釈は意見が分かれるかもしれない。この問題について筆者は別の解釈をするだろう。事務局はまた方法論が定まっていない無形の要素の審査の難しさ(questions of methodology and legitimacy)も指摘する。議論は、次回第48回世界遺産委員会に継続される予定である。
さてOEWGでの議論を通して聞きながら、筆者はオーセンティシティが本当に不均衡の原因なのかと考えていた。オーセンティシティが原因でアフリカの遺産が今も拒否されることがあるのか。アフリカの遺産の価値を伝えるアトリビュートは無形が主であり、コミュニティがそれを伝えていくという。文化的景観のカテゴリーはそのためのものではなかったか。奈良ドキュメントでオーセンティシティの審査のための指標は拡大したはず。世界遺産の文脈におけるオーセンティシティは果たして有効に使われているのか、という疑問が生まれてくる。1998年アムステルダム会議でオーセンティシティをインテグリティに統合しようとした議論を思い出す。
日本ではオーセンティシティをカタカナ英語のオーセンティシティで論じる。それで議論はできているのだろうか。オーセンティシティに相当する概念は文化圏を超えて存在する。人が社会を運営していくための基本概念である。遺産保護の分野にも相当する概念は存在しているだろう。その概念を示す日本語は何か。あるいはそれがプロセスならそのプロセスはどう認識されているのか、それを見つけない限り、理念は理念で留まり遺産保護の実務との乖離は解消されない。
今では観光分野でもオーセンティシティの語を使う。建築修復の実務分野で使うオーセンティシティの概念と同じか、違うのか。オーセンティシティとは評論あるいは哲学談義のための語かと、時には思わざるを得ないことがある。
そのカオスが、もしかしたらオーセンティシティの議論のもっとも重要なところ、面白いところなのかもしれない。しかしそうはいっても世界遺産においてオーセンティシティは審査のためのツールである。そこが曖昧で落とされるようなことがあっては、各国は承知しないだろう。2005年まで文化遺産はオーセンティシティ、自然遺産はインテグリティの語で、それぞれ別々に価値の存在を保証するものの存在の審査を、価値の審査とは別に行ってきた。自然遺産のインテグリティは、面積や個体数など保全に必要な具体的な要素の審査で分かりやすかった。文化遺産のオーセンティシティは解釈のぶれに問題が生じていたからであろう。そこを明らかにすることが世界遺産委員会の要請に基づく1994年奈良会議の開催目的であった。
奈良ドキュメントで列挙された指標(デザイン、材料・・・)は、単なる事例にしかすぎない。それが2005年作業指針に転記されて固定化されてしまった。推薦書を書く人間の思考は、この固定化された指標にからめとられてそこから進まない。だからであろうか。提出されてくる推薦書のオーセンティシティの項目の記載は、どれも似通っていてつまらない。世界遺産におけるオーセンティシティはあくまでも審査ツールである。しかしそれを一般の人々は保存の理念の議論に使う。そこもまた混乱の原因であろう。
2005年評価基準の統合に伴い、文化遺産にはオーセンティシティに加えてインテグリティの審査も適用されることとなり、さらに混乱が増すことになった。オーセンティシティとインテグリティ、両者の仕分けはできているのか。文化遺産に適用するインテグリティについて、自然遺産にならった詳細な指針を作ろうとしたこともあったが、結果は採用されなかった(2011年)。仕分けがあいまいだからであろう。
実際のところオーセンティシティの記述が不足で世界遺産を落とされた例はあまり聞かない。文化遺産の審査で、オーセンティシティ以上に重視されるのは、今では価値を伝え、価値の保全を保証する有形、無形のアトリビュートの特定である。アトリビュートを保全することで価値も保全されるという理屈であるが、こちらのほうが実務的で、分かりやすく、マネージメントプランの策定にも役に立つ。
下記は筆者による、世界遺産委員会におけるオーセンティシティとインテグリティの運用の歴史のまとめである。なお同書には、故ユッカ・ヨキレート氏の最後の著作となった歴史的都市・町並みのオーセンティシティに関する論考も掲載されている。
Nobuko Inaba, Contextualizing Authenticity and Integrity in the Context of World Heritage—An Asian Expert View, Niyati Jigyasu & Anjali Krishan Sharma (eds.) Sustainable Management of Historic Settlements in Asia, Role of Intangible Cultural Heritage, Springer, 2024.
ユッカの論考のタイトルは、Contextualising Authenticity and Integrity Within Historic Towns/Citiesである(Contextualisingは原文通り)。
ヴェニス会議とは何であったのか
2024年8月に東京で開催されたヴェニス憲章の英仏翻訳を考える会合で、筆者は1964年ヴェニス会議の開催にユネスコがどのように関与していたのかについて疑問を提起した。答えが出ないままであったが、2025年6月にイタリア文化会館で開催されたイベント「ヴェニス憲章60周年 ―人類の遺産保存のために」でそのモヤモヤが晴れて、すっきりした(イベント詳細はインフォメーション誌2025年秋号ウーゴ ミズコ氏、下間久美子氏の寄稿参照)。
ヴェニス会議は、イタリア政府の提案でユネスコとの協働のもとに開催された政府間会議であった。ヴェニス会議に先立って、双方の話し合いがパリ・ユネスコ本部で開催され、そのときにイタリア政府によりイコモスの設立も提案されたという(ウーゴ氏の教示による)。ヴェニス会議の主催者はイタリア政府文化省であった。当時の状況は今と大きく異なる。当時は文化遺産に関わる関係機関及び関係者は、文化省とその周辺で実務に携わる建築家、都市計画家であった。
イベントではイタリア放送協会(RAI)作成のドキュメンタリーが映写された。映像の中のヴェニス会議で700人集まったという参加者の顔触れは政府関係者である。遺跡の復原のための支援を断られた米国代表団が席を蹴って帰国したというのは、まさに参加者が政府関係者であったことを示している。ユネスコとの協働でイタリア政府が開催した政府間会合であったというのがヴェニス会議だったのであろう。イコモスの設立も、やはりユネスコとの協働で実現した。その時点では、遺産保護の実務に携わる建築や都市計画、造園、考古学など不動産文化遺産の専門家の集団が想定されていたのではないか。
そしてヴェニス憲章は、建築修復のために必要な基本事項を当時の建築家たちがまとめたものである。考古学に関する記述は後から加えられたと聞く。いろいろ面白いことが分かりそうであるが、イタリア語の文献を読む必要がある。ウーゴ氏が調べてくださって、さらに議論が進むことに期待したい。
ヴェニス憲章は、1964年時点での建築家による建築修復のための憲章であった。社会の要請に従って発展を続ける今日の文化遺産の保存のための理念として、ヴェニス憲章は今、どのような立ち位置にあるのか。
少し別の側面から話を進めてみよう。ヴェニス憲章はどうしてあのように厳格なのかという質問を受けることがある。どの分野に適用してのヴェニス憲章のことを言っているのだろうか。建築修復の専門家にとってヴェニス憲章はやっかいなものではない。建築修復は、現場担当者がさまざまに降りかかる問題を解決しながら行っていく膨大な決定の積み重ねである。ヴェニス憲章はもちろんのこと、その他のイコモス憲章に従うだけでは現場の仕事はできない。憲章を超えて、時にはそれに反してものごとを決めていかなくてはならないこともある。その際にどう決断していくか、憲章をどんなに読みこなしても決して答えはでてこない。そこを決めていく能力があってこそ、それを批判する仲間の職能集団があってこそのプロの修復建築家である。
かつてのイコモスはそのような建築家を主とする職能集団だったのではないか。今はそれを超えてはるかに大きな存在に育っている。ヴェニス憲章が1965年時点でのイコモスの原点であったことは歴史的事実である。ヴェニス憲章はそのエッセンスにおいて、そして建築修復の実務においては今も多くの場面で有効である。しかしそれを今の保存の世界全体に広げるのも無理がある。何を保存の理念と捉えるか、人々の思いは拡散し続けている。そしてそれが現在の保存の世界の現実である。
変化し続ける保存の世界に対応しながら議論を続けて、そのときどきの社会の要請に答えて記録を残していく義務が我々にはあり、その記録がすなわち憲章であると筆者は考える。
これだけ刻々と変化していく遺産保護の世界では、作成された憲章の時効はすぐに訪れるものかもしれない。そもそも人々をまとめていく永遠の世界共通の規範は存在するか。イコモスは今後どうしていくのか。
(静岡県富士山世界遺産センター館長/筑波大学名誉教授)