「富岡製糸場と絹産業遺産群」視察レポート:世界遺産登録10周年記念国際シンポジウムに向けて
「富岡製糸場と絹産業遺産群」視察レポート:世界遺産登録10周年記念国際シンポジウムに向けて
Report on the Study Tour of the ‘Tomioka Silk Mill and Related Sites’: In Preparation for the 10th Anniversary of Its World Heritage Inscription International Symposium
山田 大樹 Hiroki YAMADA / 武藤 美穂子 Mihoko MUTO
群馬県に所在する「富岡製糸場と絹産業遺産群」は、令和6(2024)年で世界遺産登録から10年となり、新たな展望を考えるにふさわしい。令和6(2024)年は、また、オーセンティシティに関する奈良ドキュメントがまとめられて30年の節目を迎える。日本イコモスでは、「NARA+20: ON HERITAGE PRACTICES, CULTURAL VALUES, AND THE CONCEPT OF AUTHENTICITY」のフォローアップを行うためにNara+30特別委員会を設置した。両者の課題の共通点を捉え、Nara+30特別委員会は、令和7(2025)年1月10~11日に国際シンポジウム「絹の歴史と文化を未来に紡ぐヘリテージ・エコシステムに向けて:地域、遺産、持続的発展」 を群馬音楽センターホール(群馬県高崎市)に於いて開催する運びとなった。
この準備のため、8月23日から25日にかけて、Nara+30特別委員会(以下、「特別委員会」という)では、群馬県地域創生部文化振興課歴史文化遺産室等の協力を得て、構成資産ほか関連する施設を視察した。以下にその報告を行う。
視察行程
視察を行ったのは、特別委員会主査の河野俊行を始めとする12名である。視察先は以下の通り(太字は世界遺産の構成資産)。
1日目:群馬音楽センター(1月シンポジウム会場)、中之条町六合赤岩伝統的建造物群保存地区
2日目:碓氷製糸工場、荒船風穴、織物参考館「紫」、桐生市重伝建地区公開活用施設
3日目:島村蚕のふるさと公園・田島弥平旧宅等、高山社跡、富岡製糸場
上毛かるたで紐解く群馬の絹産業
富岡製糸場を含む4つの資産は世界遺産に登録されたものの、群馬県内にはこのほか多数の絹産業関連遺産群が残る。これらのうち、養蚕・製糸・織物で家計を支えた上州の女性の姿を伝える13遺産は、現在、「かかあ天下 -ぐんまの絹物語-」として日本遺産に認定されている。また、「上毛かるた」という形で広く地域住民に浸透している。
上毛かるたは、昭和22(1947)年に発行された群馬県を代表する郷土かるたで、戦後の郷土かるた第1号でもある。敗戦後の混乱期にあって、郷土の子供達に故郷の自然や歴史、文化を伝えたいという思いを募らせた浦野匡彦氏(のちの二松学舎大学学長)によって構想された。上毛かるたは、競技大会の開催数並びに発行部数において日本一を誇り、群馬県の文化となっており、幼少期から学校行事等で競技するため県民の多くが大人になっても読み札を暗記している。
以下、上毛かるたの読み札になぞらえて今回の視察について報告したい(太字は世界遺産の構成資産)。
「き」桐生は日本の機どころ
『西に西陣、東に桐生』といわれ、桐生は織物で有名な機業地である。桐生市桐生新町伝統的建造物群保存地区にある森秀織物による見学・体験施設、織物参考館「紫」では、織機や織物の生産工程について学んだ。のこぎり屋根の施設は登録有形文化財(建造物)である。
「け」県都前橋 生糸の市
明治以後、県庁が設置されたことで前橋は政治・経済の中心地となり、輸出生糸の中心地として全国的に有名になった。今回の視察の宿泊地である。
「に」日本で最初の富岡製糸
富岡製糸場では、近代製糸業の歴史、工女たちの生活、西置繭所の耐震補強を含む保存整備工事(令和2(2020)年完了)、活用や展示の考え方等について説明を受けた。
「ま」繭と生糸は日本一
伊勢崎市の田島弥平旧宅では、利根川の治水と島村の養蚕との密接な関係について学ぶと共に、「清涼育」の実践として発案された蚕室等の外観を見学した。高山社跡は、主屋が解体修理中であったが、高山社の歴史に係る説明を受け、敷地における様々な附属屋等から往時の活動を窺い知ることができた。中之条町六合赤岩伝統的建造物群保存地区では、総二階建、総三階建を特徴とする伝統的な養蚕家屋群を見学した。赤岩地区では明治期になって養蚕が主産業となり、その発展においては高山社の指導を受けている。
なお、伊勢崎市の中心市街地は、近代には伊勢崎縞、伊勢崎銘仙で名を馳せ、上毛かるたでも「め」は「銘仙織出す伊勢崎市」とされている。
本視察では、蚕種、養蚕、製糸、織物、流通という一連の工程について五感を通じて体感することができた。世界文化遺産や上毛かるたに詠まれる絹産業の情景は、かつては群馬県一円に広がっていたものである。多様な業種の人々が関与し、全盛期には繭を煮る匂いや熱気、青々とした桑畑や藍の煮汁、織機の音などが群馬の地を埋め尽くしていたという。それも群馬県一律で同じように行われているのではなく、其々の地理的特性をうまく組み合わせて絹産業が成立している。
絹産業を殖産興業と位置づけ設置された富岡製糸場に注目が集まりがちであるが、地域規模で発展した組合製糸等などの絹産業の発展とその関係性に目を向けることも重要である。これにより絹産業遺産群に対する理解が深まり、その価値を未来へと繋ぐための豊かな手がかりを得ることができる。今回の視察を通じて、「富岡製糸場と絹産業遺産群」 を含む絹産業関連遺産群が、1月の国際シンポジウムのテーマである「エコヘリテージ・システム」を議論するのに相応しいテーマであることを確信できた。
初版以来、上毛かるたの読み札は時代に応じてイラストが刷新され、「「ち」力あわせる二百万」では人口の推移に応じて内容も更新されてきた。近い将来、「「に」日本で最初の富岡製糸」の読み札も、「「せ」世界のたから富岡製糸」へ更新される日がやって来るのかも知れない。世界文化遺産の保存と継承を掲げた取り組みや郷土の歴史を記憶していこうとする官民双方の努力の狭間で、零れ落ちてゆく要素をいかに掬い上げるかが、操業を停止した産業遺産の課題である。
おわりに
国際シンポジウムには国内外から50名以上の研究者・実務者が集まり、ヘリテージ・エコシステムと群馬の遺産、そしてオーセンティシティについて多くの議論が交わされる予定である。地域に点在し、過去とは異なる文脈の中に置かれた遺産の保護をどのように進めるべきなのか、その手がかりとなる議論が期待される。現在、シンポジウムHPで一般参加者の登録を受け付けている。ぜひシンポジウムにもご参加いただきたい。
末筆とはなりますが、視察に御協力くださった全ての方々に、感謝を申し上げます。