日本における世界文化遺産の来し方、行く末
日本における世界文化遺産の来し方、行く末
World Cultural Heritage in Japan, its Past and Future
鈴木 地平 Chihei SUZUKI
はじめに
2024年の世界遺産委員会はインドのニューデリーを会場に開催され、佐渡島(さど)の金山(新潟県)が新たに世界遺産に登録された。これで日本に所在する世界遺産は、文化遺産21件、自然遺産5件の計26件となった。
また、本年9月には「飛鳥・藤原の宮都」を今年度に日本から世界遺産に推薦する候補としたことが文化審議会から答申された。さらに、1992年から世界遺産の暫定リストに記載されている「彦根城」について、2023年9月に世界で初めての事前評価制度[i]に申請していたところ、本年10月にその結果がイコモスより通知された。
もちろん、世界遺産に関しては既に登録された資産の十分な保存・活用が求められることは言うまでもない。他方で、上記のように新規登録・推薦にかかる動きはますます活発であり、また本年4月には暫定リストの改定を議論するワーキンググループが文化審議会のもとに設置されるなど、日本における今後の世界遺産に関する動きも注目が高い。
そこで本稿では、特に暫定リスト改定にかかるこれまで、あるいは現在の議論を整理し、日本における今後の世界遺産リストの考え方について論じたい。
1.暫定リスト改定の歴史
1992年に日本が世界遺産条約に参加して以降、暫定リストの大幅な改定は3回あったと理解することができる。
1回目は1992年の条約参加時で、この時に法隆寺、姫路城、彦根城など文化遺産10件を暫定リストに記載した。1995年には原爆ドームを追加している。
2回目は2001年で、この時には紀伊山地、石見銀山、平泉が暫定リストに記載された。この1回目・2回目の暫定リスト大幅改定は、文化庁で学識経験者から成る検討委員会を組織し実施したという意味で、「国主導」の改定と言えよう。
これに対し、3回目の大幅改定は、2006年から2007年にかけて全国の自治体に暫定リストの候補資産を公募するという手法が採られた。これによって富岡製糸場、富士山、飛鳥・藤原の宮都、長崎の教会群、北海道・北東北の縄文遺跡群、佐渡、九州・山口の近代化産業遺産群、宗像・沖ノ島、百舌鳥・古市古墳群が暫定リストに順次追加された。また、この時に応募した資産は課題内容に応じてカテゴリー分けされたうえで、「暫定リスト候補資産」として位置付けられている。【表1】
その後は、2007年にル・コルビュジエの建築作品の構成資産として国立西洋美術館が暫定リストに記載されたり、2012年に拡張を目指す平泉が再度記載されたりしたが、上記のような大幅改定は現在のところ行われていない。そんな中、2021年3月に文化審議会が、「我が国における世界文化遺産の今後の在り方」について第一次答申を発表した。
2.文化審議会の第一次答申
2020年11月、我が国の世界文化遺産の今後の在り方について、文部科学大臣より文化審議会に諮問された。諮問内容は、①世界遺産一覧表に文化遺産が記載されることの意義について、②登録された世界文化遺産の持続可能な保存・活用の在り方について、③世界遺産一覧表における文化遺産の充実に向けた取組について、④暫定一覧表の見直しについての4点であった。これに対して出されたのが、上記の第一次答申[ii]である。
暫定リスト改定関係で言えば、諮問事項③および④が特に関係するであろう。第一次答申では、
これまでの我が国が国際的に果たしてきた貢献に鑑みると、今後も世界遺産一覧表の多様性の増進及び人類社会や環境の持続可能性に貢献できる余地がある。引き続き適切な準備が整った資産については世界遺産一覧表への記載を推薦し、また、そのために暫定一覧表を充実することが有効であると考える。
としており(太字は筆者による)、今後も日本から世界遺産を推薦すべきであり、そのために暫定リストの改定が必要としている。
世界遺産に推薦する資産の条件を、「OUVを世界的な観点から説明しうること」「世界遺産一覧表の多様性及び人類社会や環境の持続可能性に貢献できること」「保存・価値・活用の観点における様々な取組が着実に実施できる、登録後も地方自治体が取組を継続・発展できること」とし、国境をまたいだシリアル推薦も検討することとしている一方で、これを踏まえて暫定リストに記載する資産の条件を、
- 前述の条件を満たす(見込みがある)もの
- 現代という新たな時代も視野に入れつつ、自然との共生や災害に対する対応、無形の文化遺産との結びつきなどの観点から高く評価できる文化遺産なども新たな候補になりうる。
と述べている(太字は筆者による)。日本が世界に訴える内容という観点から言えば、過疎化によって遺産の担い手の確保が特に地元においてますます困難になる中で、どのように遺産および地域生活の保護を図っているかを示す資産も候補となっていこう。
暫定リストの改定手続きとしては、学術的な検討が大前提であり、地方自治体の域を越えたシリアルも今後想定されることから、2007年-2008年のような公募はしないとしている。また、前回の大幅な改定から十数年が経過しているが、今後は特に期限及び周期を設けることはせず、必要な条件がそろった際に随時行うことが考えられると述べている。さらに、
一定期間(例えば5年間)推薦に向けた活動を行っていない資産について、関係自治体に対し継続意思を確認した上で、暫定一覧表から削除すことも検討すべき
としていることから、暫定リストは「改定」であって、単に資産の「追加」だけではないということが念頭にあると考えられる。
3.暫定リスト見直しの議論
2021年3月の第一次答申以降、文化審議会世界文化遺産部会では同年6月、8月、9月と暫定リスト見直しにかかる議論を行っている[iii]。また、前述の通り2024年4月には暫定リスト見直しを議論するためのワーキンググループが設置され、検討が進んでいる。
世界遺産リストの多様性向上に貢献するという観点から言えば、既登録の世界遺産とは異なる時代・分野の資産を候補として考えていくという手法が考えられる。日本の世界遺産・暫定リスト記載遺産を時代別・分野別に整理すると、【表2】のように位置付けることができよう。もちろん単純にこの表の空欄を埋めていけばよいかと言えば、例えば「旧石器時代」の「産業」遺産がおおよそ想定されないように、あまりその行為には意味がないであろう。ただし、既登録の世界遺産がどの時代に属するどういった資産なのかを「見える化」することは、今後の候補を考えるうえで一定の役に立つ。
また、暫定リストの見直しにおいてはスケジュール感を持つことも必要であろう。【図1】特に2028年の世界遺産委員会で登録の可否を審査されるものから、事前評価制度に乗ることが義務化されることは重要な意味を持つ。現状では事前評価に申請できるのは暫定リストに記載されて1年以上経つ資産とされているので、そのタイミングを考慮しつつ暫定リストの見直し作業を進めることとなる。
4.世界遺産委員会での議論
今後の世界遺産推薦を考えるに当たっては、ユネスコにおける議論の行方も考慮しておかなければならない。
2023年の第45回世界遺産委員会において、①世界遺産リストの不均衡の是正、②キャパシティ・ビルディング、③追加サービス提供者の可能性、④審査等に係る財政需要への対応、に関して深く議論するために、すべての締約国が参加できるオープンエンド・ワーキンググループ[iv]を設置し、検討を進めることが決議(Decision 45 COM 11)された。これに基づき、2024年に4回の会合が持たれた。
会合では、例えば①や②の議題に関しては、世界遺産が少ない/ない締約国の支援の必要性や登録が多い国の推薦を抑制すべきといった意見、字数制限によって推薦書フォーマットをシンプル化させることといった意見が出された。また、暫定リストの位置づけを見直し地域的調和を促進すること、その先にあるものとしてシリアル推薦や国境を越えた推薦を奨励することといった意見もあった。さらに、世界遺産リストに十分反映されていない遺産の分野(ギャップ)を明確化すること、そのために2004年に諮問機関が実施したギャップ分析を更新することなどが提案された。アップストリーム・プロセスや事前評価といった既存制度を活用し質の高い推薦書を仕上げるサポートをすべき、という意見は、特に②に関するものと言えよう。
③に関しては、推薦・評価の過程でカテゴリ2センターを活用し、各地域が有する専門性をもっと重視すべきといった意見が、特にアフリカ諸国、アラブ諸国から出されていた。
こうしたワーキンググループでの議論を受け、2024年の第46回世界遺産委員会は次のような決議(Decision 46 COM 11)を行った。
- 諮問機関に対し、2004年のギャップ分析の更新を要求
- 世界遺産センターに対し、アフリカ・島しょ国、登録資産が少ない/ない国に焦点を当て、暫定リスト・推薦書の作成及び長期的な保全のためのキャパシティ・ビルディングのプログラムを要求
- 締約国に対し、定期的に暫定リストを見直し、現行の世界遺産リストであまり代表されていない分野の資産を含むこと、地域間での対話を促進することを勧奨
- 世界遺産センター・諮問機関に対し、推薦書書式の簡素化・オンラインでの提出の可能性を模索することを要求
- 世界遺産委員会委員国に対し、任期中の新規推薦自粛を強く勧奨
本件に関しては、④財政的課題を含め未だ結論が出ていない。そのため、2024年-2025年も引き続きオープンエンド・ワーキンググループは継続され、議論の結果は2025年7月の第47回世界遺産委員会へ報告されることとなっている。
むすびに
本稿では、暫定リスト見直しに関して過去の経緯を振り返りつつ、2021年3月の文化審議会による第一次答申に示された暫定リスト見直しのスタンス、そして現在の国内外における世界遺産推薦の考え方を整理した。
いずれにせよ、今後日本から世界文化遺産として推薦する資産については、それが世界遺産リストに登録されることによってどのように「世界文化の進歩に貢献する」[v]かを強く意識する必要があろう。それと同時に、世界遺産リストに登録されることによって、当該資産がどのような「社会生活における役割」[vi]を担えるか、換言すると当該資産が世界遺産になることによって、特に地域の人々の生活にとってどのような益がもたらされるのかを考える必要がある、ということである。
(文化庁文化財調査官)
[i] 推薦書の本提出前に、顕著な普遍的価値等について諮問機関より技術的・専門的助言を受ける制度。諮問機関との対話を通じて質の高い推薦を促すことを目的とする。
[ii] https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/isanbukai/sekaiisanbukai_nittei/4_07/pdf/92934201_2.pdf、2024年12月11日閲覧。
[iii] https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/isanbukai/sekaiisanbukai_nittei/、2024年12月11日閲覧。
[iv] https://whc.unesco.org/en/activities/1405/&p=oewg2024、2024年12月11日閲覧。
[v] 文化財保護法第1条「この法律は、文化財を保存し、且つ、その活用を図り、もつて国民の文化的向上に資するとともに、世界文化の進歩に貢献することを目的とする。」
[vi] 世界遺産条約第5条「各締約国は、自国の領域内に存在する文化及び自然の遺産の保護、保存及び整備活用のための効果的かつ積極的な措置がとられることを確保するため、できる限り、自国に適した条件に従って、次のとおり努力する。(a) 文化及び自然の遺産に対し社会生活における役割を与えること並びにこの遺産の保護を総合計画の中に組み入れることを目的とする一般的方針を採択する。(以下略)」、https://www.mext.go.jp/unesco/009/003/013.pdf、2024年12月11日閲覧。