山口県萩市におけるエコミュージアム「萩まちじゅう博物館」 20年目の現在地とこれから


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山口県萩市におけるエコミュージアム「萩まちじゅう博物館」 20年目の現在地とこれから

Hagi Open-Air Museum, an Eco-museum in Hagi City, Yamaguchi Prefecture: Where We Are Now and Where We Are Going in the 20th Year

山本 明日美 Asumi YAMAMOTO

まち博のイメージイラスト
まち博のイメージイラスト

1. 萩まちじゅう博物館とは?

(1)はじめに

萩まちじゅう博物館(以下「まち博」)とは、山口県萩市において、まちじゅうを「地域の文化遺産を現地でありのままに展示・保存する屋根のない広い博物館」としてとらえるエコミュージアム概念を用いたまちづくり・観光地づくりである。萩の歴史や文化、自然、民俗などの文化遺産を再発見し、市民と行政の協働により、守り育て、活用することで、「生きた遺産(living heritage)」として次世代や来訪者に伝え、質の高い文化交流型の観光の実現や、地域景観の保全と形成などを組み込んだ萩独自の文化遺産マネジメントを目指している。

(2)江戸時代の地図が使えるまち

萩市は、本州西端の山口県北部に位置し、日本海に面する自然と歴史に恵まれた風光明媚なまちである。1604年に毛利輝元により開府された萩は、約260年間にわたって長州藩36万石の城下町として栄えた。幕末には、吉田松陰や高杉晋作、木戸孝允、伊藤博文などの多くの志士を輩出し、日本近代化の礎となる明治維新胎動の地となった。

中心市街地は「江戸時代の地図がそのまま使えるまち」といえるほど、城下町の佇まいや町割りが今なお残る。約150年前の萩城下町の筋名がついた256を超える街路(筋名単位)の8割以上がそのままの道幅で存在している。城跡や維新の志士の旧宅、武家屋敷、町家、寺院等、祭礼、産業など多くの文化遺産があふれ、萩のまち全体がかけがえのない姿で残されている。市町村合併により広がった市域の中には、220の文化財が指定されている。さらにその傍らで近世そのままの空間が市民によって住みこなされ、いたる所に息づいている。

現在の地図を重ねた150年前の古地図

(3)まちじゅうが屋根のない広い博物館

平成11年(1999)には、九州芸術工科大学(現九州大学芸術工学部)の西山徳明研究室(当時)の学生による景観資源調査により旧来の文化財建造物や保存地区のみならず、おおよそ50年以上にわたって萩に存在している建造物、土塀や石垣、樹木や生垣などの文化遺産が、旧城下町地区のほぼ全般に散りばめられていることが明らかになった。同年開かれたシンポジウムでは、この事実から「萩はまちじゅうが博物館」という言葉が飛び出した。それが萩のまちづくりのキーワードとなっていった。

伝統的な建造物・土塀・石垣・樹木・生垣等の分布図

萩市全域を見渡すと、江戸時代に由来するものだけではなく、明治以降に農村部で広がった赤い石州瓦の町並み、日本の産業革命のスタート地点となる萩反射炉、自然が作り出す渓谷や椿の群生林、中世にさかのぼる歴史を持つ寺院や田園風景、ジオパークの側面からも光があたる須佐ホルンフェルスなどの地質的な遺産、昭和中期に整備された夏みかんをモチーフにした黄色いガードレールなど、様々な「おたから(文化遺産)」がまちじゅうに存在している。

萩のまちじゅうにおたからが存在

2. 萩市の歴史まちづくりのあゆみ(制度活用の視点から)

(1)歴史まちづくりの始まりからまち博まで

まちじゅうにある「おたから」はある日突然現れたものではない。萩では、古いものやその土地ならではのものを大事にすることが昔から脈々と行われてきた。

大正時代から明治維新関連の史跡の保存・顕彰が始まり、貴重な自然を名勝・天然記念物に指定・保全することも進められた。保存・保護の一方で、観光に活かすことも進められ、昭和45年(1970)には国鉄の「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンに取り上げられ、日本の古い町並みのひとつとして光が当たり、多くの観光客が訪れるようになった。

観光開発が進む中、価値のある景観が失われる危機感も生まれ、昭和40年代から景観行政に取り組み始めた。日本の中では比較的早い取り組みであった。文化財保護法の改正により昭和51年(1976)には、町並みを面的に守るため、堀内地区と平安古地区が日本で最初の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。

しかし、昭和50年(1975)をピークに観光客数は減少に転じ、高齢化や産業の衰退など地方都市ならではの問題を抱え、このまちの将来像が描けない状況にあった。平成10年(1998)に国道の拡幅により萩市郷土博物館を移転することが決まり、平成16年(2004)の「萩開府400年」に合わせて新博物館(現萩博物館)を建設することになった。新博物館には、これまでの郷土博物館の性格・機能に加え、これからの萩のまちづくりの中核施設としての期待が込められていた。

萩博物館の建設と同時期に大規模な文化財施設の修復、電線類地中化など文化遺産に関わる都市整備が進み、これらのプロジェクトを総合的に連携させていくために、萩市は九州芸術工科大学(現九州大学芸術工学部)の西山徳明教授(現北海道大学観光学高等研究センター)の協力のもとで、エコミュージアムの概念を取り込んでスタートしたのが「まちじゅう博物館」である。平成15年(2003)に萩市において「萩まちじゅう博物館構想」が取りまとめられ、平成16年(2004)に条例を施行、平成17年(2005)に基本計画・行動計画が策定された。

萩市の歴史まちづくりのあゆみ①

(2)まち博の開館からの現在まで

平成16年(2004)に「萩博物館」が開館して、それと同時に「萩まちじゅう博物館」が開館して20年が経とうとしている(令和6年(2024)9月現在)。その間に、周辺の2町4村との市町村合併により萩市域は拡大し、景観法や歴史まちづくり法のバックアップのもと景観や文化遺産にかかわる環境整備がさらに進められた。また、萩を含む8県11市にまたがる「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録や、「萩ジオパーク」の日本ジオパークの認定など、萩の文化遺産や地域資源を取り囲む状況は変化していった。

そのような状況の中で、「萩まちじゅう博物館構想」は萩市の「まちづくり基本ビジョン」を支える3つの柱のうちの1つに位置付けられ、より持続可能な地域づくりに向けて構想の改定が行われた。さらに、構想の実現に向けて、今後の萩の文化遺産の保存と活用にかかわる総合的な方針と具体的なアクションプランを定めた「萩市文化財保存活用地域計画」の作成が進められている。

萩市の歴史まちづくりのあゆみ②

(3)まち博を支える主な制度・しくみ

まち博を支えるしくみの根幹は、まちじゅうにある文化遺産の再発見とデータベース化にあるが、それについては後段の[3.エコミュージアムとしての「萩まちじゅう博物館」]で詳しく述べたい。ここでは、ありとあらゆる補助金・交付金の制度や事業を駆使して文化遺産の保全や整備を進めてきたまち博において、具体的にどのような事業がどのような役割を担ったかの一例を下記に紹介したい。

― 伝建地区制度・街なみ環境整備事業(建物の修理、町並みの整備)

萩市内には町並みを文化財として守る伝建地区が4地区あり、建物の修理・修景に対して国や県、市が補助する制度などを通して町並みが整えられてきた。また、国からの交付金を使った「街なみ環境整備事業」を活用して、浜崎伝建地区では電線類地中化が進められ、旧城下町エリア全体でサイン整備や歴史的建造物の修理をするなど、さまざまな歴史的な建物・町並み景観の整備が進められてきた。

― まちづくり総合支援事業(ハード整備+まち博推進体制の組織化)

まち博の取り組みが萩市の総合的なまちづくり事業となった大きなきっかけの一つが、「まちづくり総合支援事業(後のまちづくり交付金事業)」である。この事業では、堀内伝建地区での電線類の地中化や歴史的景観保存地区での道路の美装化などのハード整備が行われた。それらを行政だけで考えるのではなく、横断的な連携の元、市民と一緒に考えるため、平成15年(2003)に担当課が当時の都市計画課から企画課に移され、地元の代表者や商工会議所、観光協会、学識経験者などによる「まちじゅう博物館整備検討委員会」が立ち上げられた。

整備対象の4地区に地区部会が設けられ、行政と地域住民が同じテーブルで検討し、地区毎の文化遺産にかかわる整備方針がまとめられた。整備検討委員会は、後に「まちじゅう博物館推進委員会」へと発展し、4つだった地区部会は、市町村合併後に12部会となった。企画課内に設置された「まちじゅう博物館推進室」は、後に「まちじゅう博物館推進課」となり、まち博を推進するための基本的な組織体制が整えられた。

電線類が地中化された道路

― 景観法・景観条例・景観計画(歴史的な景観の保全+調和する景観の形成)

景観法に先立ち、萩市では昭和47年(1972)から独自の歴史的景観保存条例、平成2年(1990)には都市景観条例を制定して、全国に先駆けて貴重な歴史的景観の保全とそれに調和のとれた良好な景観の形成に取り組んできた。また、これとは別に独自に「屋外広告物条例」を制定し、看板などの屋外広告物の設置に対しても、色や大きさ、高さを制限して落ち着いたデザインになるように誘導が行われている。

特に、三角州を中心とした市街地では、建物や看板の高さが抑えられていることで空が広く感じらると言われ、チェーン店は明度の低い色味の外装に合わせられ、自販機やガードレールも濃い茶色の「シティブラウン」で統一されるなど、新しい建物や現代のインフラによっても、萩らしい落ち着いた雰囲気の景観が整えられている。

屋外広告物が規制された道路景観

― 歴史まちづくり法・歴史的風致維持向上計画(未指定文化財の建物の修復、周辺整備)

当時の萩市長が制度創設の頃から関与してきた歴史まちづくり法に基づいて定められた歴史的風致維持向上計画では、萩の特徴ある歴史的風致を社会インフラと捉え、「城下町の祭礼」や「明治維新」、「漁とその加工」など、6つの歴史的風致が設定されている。

これまでに、指定文化財ではないが市民に親しまれてきた玉江の観音院観音堂が行う修復工事への補助金交付や、街道の起点となった「唐樋札場跡」の復元的整備、堀内伝建地区内にある「鍵曲(かいまがり)」道路の修景的整備など、歴史的風致の維持と向上につながる整備や伝統の継承に対する支援が進められてきた。この計画も、まち博の取り組みを、ハードとソフトの両面から支えるしくみとなっている。

(4)まち博を展開する主な制度・しくみ

まち博を展開するしくみの根幹は、市民との協働にある。ここでは、代表的な団体の具体的な活動例やその他のしくみの一例を下記に紹介したい。

― NPO団体との協働による中核施設の運営(市民との協働)

まち博の展開には、多くの市民が活躍している。まち博の中核である「萩博物館」の運営を担うとともに、まち博を市民レベルで推進する市民組織が「NPO萩まちじゅう博物館」である。

会員であるごく普通の市民が、おもてなしの心と笑顔で博物館の受付や案内、展示のガイドなどを行っている。ミュージアムショップやレストランも運営し「萩ならでは」のオリジナルグッズやメニューを提供している。また、定期的に市民講座を開いたり、文化遺産の収集・整理・発信、民具や古写真などを介して市民交流や萩再発見を進めるなどして、活動を広げてきた。

もうひとつの中核である「萩・明倫学舎」の管理・運営においても「NPO萩明倫学舎」が立ち上げられ、館内ガイドや観光インフォメーション、ショップなどにおいて、市民参加による運営が行われている。

― NPO団体や住民団体によるサテライトの運営・ガイド活動(市民との協働)

その他にも市内各所でNPO団体や住民団体が、地域のおたからを解説するガイド活動やサテライト(地域博物館・交流施設)の管理運営を行っている。

港で栄えた商家町の町並みが残る浜崎伝建地区では、地元住民有志でつくる「浜崎しっちょる会」が、20年以上にわたって活動を続けている。日常的な町並み交流施設の管理運営や展示ガイド、伝建地区内を歩くガイド活動に加え、5月に開催される町並みイベント「浜崎伝建おたから博物館」、秋に開催される「御船倉コンサート」などを展開している。

他にも、史跡萩城城下町を拠点に市内の周遊ガイドや各所にある文化財施設ガイドなどを担う「NPO萩観光ガイド協会」、萩往還沿いの宿場町として栄えた佐々並市伝建地区の「萩往還佐々並どうしんてやろう会」、世界遺産の構成資産のひとつ大板山たたら製鉄遺跡を中心に福栄エリアでガイド活動をする「福栄文化遺産活用保存会」、市街地から40分ほど離れた須佐エリアでガイド活動をする「須佐地域史跡案内ボランティアガイドの会」などがある。それぞれのエリアで活動する市民団体があり、各地で協働が行われてることも、まち博の大事なポイントである。

― 萩ものしり博士検定・萩検定(人材育成と歴史・文化のエンタメ化)

平成17年(2005)から平成31年(2019)の14年間に渡って、自然、歴史、文化のおたからとそれにまつわる物語をクイズ形式で学びながら、萩のことを広く、深く知ってもらうことを目的に「萩ものしり博士検定」が実施された。これまで約1,000名の「萩ものしり修士」と約150名の「萩ものしり博士」が誕生している。萩ものしり博士となった人の一部は、観光ガイドやまち歩きガイドをする「まちかど解説員」や、萩の物語をわかりやすく語り伝える「萩の語り部」として活躍中である。また、平成26年(2014)から平成30年(2018)には、全国の幕末ファンに明治維新150年を記念して「萩・幕末維新検定」が行われた。

令和2年(2020)からは、上記2つの検定を合体させて「萩検定」にリニューアルし、インターネットでの受検を可能にしたり(初級)、科目別の受検を可能にしている。子どもたちに向けては「子ども萩ものしり博士検定」を設け、ふるさと学習の一環として、学校の授業時間を使って実施している。

もともとは人材育成のしくみを意識してスタートした検定であるが、知的な楽しみ方を通して萩の歴史や文化、自然に触れる機会として、よりイベント的・エンタメ的な側面を強めているが、1度合格した後も何度も受検する方や、旅行を兼ねて遠方から参加する方もいるなど、萩のファンやリピーターを生み出しており、まち博に関わる人の裾野を広げるしくみのひとつになっている。

― ワンコイントラスト(未指定文化財の小規模な保全)

文化財に指定されていない文化遺産の修復・保全を目的に、平成17年(2005)から、市内各所の観光交流施設にトラストボックス(募金箱)を設置し、ワンコインの信託を募る「ワンコイントラスト」を行っている。スタート時は、市内各所の無料の公開文化財施設に設置していたため、集まる金額も大きく、年に1〜2件程度の修復事業を行っていた。

平成20年(2008)から主要な文化財施設が有料公開となったことから、近年の募金額の収集状況はわずかではあるが、数年ごとにある程度の金額がまとまったタイミングで物件を公募し、修復等を行っている。小規模ではあるが、市民や観光客の浄財が直接的に文化遺産の保全につながる、わかりやすいしくみと言える。

3. エコミュージアムとしての「萩まちじゅう博物館」

(1)萩まちじゅう博物館のエコミュージアムイメージ(基本型)

エコミュージアムとして見ると、まち博の領域(テリトリー)は萩市全域である。中核博物館(コアミュージアム)である萩博物館や萩・明倫学舎が情報拠点となり、それぞれの地域に、おたから(文化遺産)があるがままに展示・保存されている。そこで地元の方が説明をする。そのエリアやテーマでまとまっている場所や交流施設を地域博物館(サテライト)と位置付けている。このようなコアとサテライト全体を「萩まちじゅう博物館」という。

おたからそのものが現地にあること自体も大切であるが、萩のおたからを市民が「再発見すること」、「守り育てること」、「次世代に伝えること」の3つを大切にしている。それにより、萩に誇りと愛着を持ち迎える市民と、そこに惹きつけられる人々が行き交う、持続可能なまちづくり・観光地づくりをしていこうとすることが、まち博の重要なコンセプトである。

エコミュージアムとしてのまち博のイメージ図

(2)文化遺産活用事業(データベース化・マップによる見える化)

文化遺産のデータベース化と、その活用を進めるのが、「萩まちじゅう博物館文化遺産活用事業」である。この事業は、文化庁の補助を得て平成25年(2013)からスタートしたもので、地域の文化遺産や地域資源を市民が再発見し、「萩のおたから」として推薦・認定、データベースで公開、まちづくりや観光に活用すること、未来に引き継ぐために守り、育て、活かすことに取り組んでいる。

令和3年(2021)までの9年間で、計26地域で取り組みを行い、25種類の地域おたからマップ(うち2地域は1つのマップにまとめ)を発行している。各地の住民の方と一緒に、地域の歴史や文化、自然や産業などのおたからを再発見して、そのデータベースも作りながら、より多くの人にわかりやすく伝えるためのツールとして、イラストや写真を交えたマップを作成してきた。地域おたからマップの編集・発行や地域の再発見ツアーの企画・実施などを通して、地元住民との協働が広がっている。

地域おたからマップ(全25種)

(3)古地図ガイドウォーク (まち歩きの継続的なプログラム化)

「江戸時代の地図が使えるまち」を体感してもらうため、古地図を用いたガイドウォーク「古地図を片手に、ぶらり萩あるき」を実施している。萩のまち歩きは、来訪者だけで歩くセルフツアーで楽しむ人も多いが、学芸員やガイドと一緒に歩くことで、ただ歩くだけでは見えない町並みに隠された秘密がわかってくる。それにより、まち歩きがより楽しい・おもしろい体験になる。特別イベントとして萩博物館の学芸員が案内することもあるが、随時開催することは難しいため、萩ものしり博士検定に合格した「まちかど解説員」となった市民ガイドが主体となり、学芸員の助言や資料提供等の協力を得てコースづくりを行い、継続的なガイドウォークプログラムとして申込制で随時実施している。

古地図ガイドウォークの様子

これらの活動のきっかけが、平成28年(2016)からスタートした、山口県観光連盟による「古地図を片手に、まちを歩こう」という、古地図とウォーキングを組み合わせた地元ガイドによるガイドウォークのキャンペーンである。山口県全体に長州藩の絵図方が制作した、街道絵図・城下町絵図・村絵図など、藩政期の古地図資料が豊富に残されており、それらを使った共通デザインのリーフレットの発行や観光サイトやパンフレットでの積極的なPR、ガイド研修、GPSと連動するデジタル地図化などが行われてきた。萩市のガイド団体が実施する各コースもこのキャンペーンに参加することで、活動が活性化できている。

(4)萩まちじゅう博覧会(まち博の楽しみ方・過ごし方の見える化)

これまでに紹介してきた、ハードやソフトのさまざまな取り組みで、まち博は支えられ、展開されてきたが、まだまだ、一般市民や観光客の認知度は低い。そこで、まち博の取り組みが20周年を迎えることを機に、まち博の楽しみ方や過ごし方を多様な主体と一緒につくり、見える化するために企画されたのが「萩まちじゅう博覧会」である。令和5年(2023)にプレ博覧会、令和6年(2024)の春と秋に本博覧会が開催される。

萩市内の事業者や団体が、まち博の“おたから”(自然/文化/産業/歴史)を活かした博覧会のプログラムを企画し、期間中に実施する。そのプログラムを実行委員会がパンフレットや専用ホームページでまとめて紹介し、情報発信と販売のサポートを行うことで、市民や事業者の更なるおたからの活用を推進し、まちづくりや観光地づくりにつなげようとしている。この博覧会を通じて、さまざまな人材がまち博に関わり、萩のおたから(文化遺産)を活かしたツーリズムやコンテンツを継続・発展していくためのチームビルディングにつながることも期待されている。

萩まちじゅう博覧会のプログラム例

4. 協働の広がりとこれから

(1)協働の広がりと課題

まち博は、地元住民や市民と行政の協働を大切に展開してきたが、ますます進む高齢化により、地域で主体的に活動できる人が減少している。その結果、地域行事や福祉、インフラの維持など、多くの課題が地域に重なり、地元住民だけで地域の資源を守り活かすことには限界が見え始めている。

(2)新たな協働の可能性

そのような状況の中、地元住民だけでなく、移住者や若者を含めた協働の広がりが現れつつある。例えば、浜崎伝建地区では、移住者や若者の参加により、「浜崎朝市」や盆踊り、ブックマーケットといった新しいイベントが開催されるようになった。また、空き家をリノベーションしてカフェやショップ、宿泊施設として活用する動きが次々と見られ、地域の活性化に繋がっている。いずれの場合も、地元の浜崎しっちょる会メンバーと移住者・事業者の双方が、積極的にコミュニケーションを重ね、お互いを応援し合う関係が見えてくる。

(3)外部との連携による新たな展開

さらに、萩まちじゅう博覧会をきっかけに、ビジネスサポートセンター「はぎビズ」がコーディネーターとなり、これまで地域に関わりのなかった事業者が地域資源を活かした新たなプログラムで参画することにつながった。他にも、パン屋・農家・萩焼窯元がコラボレーションした体験プログラムや、ローカルスーパーの店長がキーとなって生産者と文化財所有者がつながり、重要文化財の商家を舞台とした試験的な萩産品の販売が企画されている。これらの取り組みにより、新たな協働の可能性が広がっている。

(4)萩まちじゅう博物館の将来像

まち博を将来につなげるためには、地域資源を現地で展示し、地元住民が解説する「エコミュージアム」の基本を守りつつ、地域の「協働の輪」と「協働の場」を増やしていくことが重要である。

― 協働の輪を広げる

まち歩きツアーや体験プログラムを定期的・恒常的に実施するためには、地元住民だけでなく、理解のある市民や事業者、関係人口が協力し合う「協働の輪」を作ることが有効である。この協力によって、より多くの人々がプログラムづくりや運営に関わり、地域の魅力を広げることが可能になる。

― 協働の場を作る

また、地域を活性化し、経済的な効果を生むためには、民間事業者や古民家をリノベーションしたお店や宿泊施設と連携し、萩での滞在を豊かにする広義のツーリズムをデザインすることが必要である。これには、関係者が互いに理解を深め、協力体制を築くための「協働の場」を作ることが不可欠である。

― 協働の輪と場がもたらす効果

「協働の輪」や「協働の場」が増えることで、内側にいる人々にとっては、仲間が増え、各自の役割を持ちながら、資源やスキルを活かして活動できる環境が整う。外部から見た場合も、萩全体が魅力的なエリアとなり、訪れる人々が地域に関わり続けたり、移住のきっかけを持つことができる。

文化遺産を活かす、ゆるやかな協働の輪と場が広がり、地域全体が活きるツーリズムが展開されることが、これからのまち博が目指したい理想像であると考える。

(5)おわりに

萩は文化遺産が豊富にありすぎて日々の管理に人手もお金も足りず、少子高齢化が急速に進む「課題先進地」である。また、全国的には復調している海外からのインバウンド観光客に対しては知名度が低く、インバウンド観光の「後進地」である。しかし、その状況の裏を返せば、探求学習や社会課題解決型研究の素材や課題が豊富な学習のフィールドとなり、人であふれていない静かでおだやかな観光地としての魅力となる。

だからこそ、この土地に魅力を感じて訪れてくれる人々、移住してきてくれる人々、関わろうとしてくれる人々、誇りを持って萩に住み高齢になっても自らの力を活かして貢献したいと活動してくれる人々との対話を続け、協働のあり方を模索して、できることから試行錯誤を続けて行くしかない。

人々の暮らしやなりわいと離れて、おたから(文化遺産)は存在できない。おたからと共に生きる人やおたからを見守る人がいなくなれば、ないことと一緒になってしまう。暮らしやなりわい、日々の楽しみの中でおたからを慈しみ、活かしていく。その活かし方には、現代のセンスを取り入れ、多様な人々の多様な価値観で再構成され、新たな価値が加わって、次世代へと繋がっていく。そんなまちの「あり方」が、「萩まちじゅう博物館」である。

それを実現・継続していくために、その時々に必要な「制度」や「しくみ」を選び、考え、組み合わせ、さまざまな主体のゆるやかな「協働」で進めていくことが、小さな地方都市の生きる術なのかもしれない。一見バラバラの取り組みであっても、共通のキーワード=目指したいまちの姿・まちのあり方として、まちづくりとツーリズムの視点を持った「萩まちじゅう博物館」という軸を大切にしていきたい。

(NPO萩まちじゅう博物館 まちじゅう博物館推進員)