肥薩線復旧支援小委員会の立上げ報告と活動について


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肥薩線復旧支援小委員会の立上げ報告と活動について

Report on the Launch of the JR Hisatsu Line Restoration Support Subcommittee and Its Activities

矢野 和之 Kazuyuki YANO / 崔 静妍 Choi Jeongyeon

球磨川第一橋梁(被災前): 2連のトランケートトラスは肥薩線を代表する橋梁である。
球磨川第一橋梁

1. 肥薩線の被災から鉄道として復旧が決定するまで

令和2年7月に発生した球磨川流域豪雨により、歴史的鉄道施設が現役で数多く活躍していたJR肥薩線も橋梁の流失など大きな被害を受けて、運行休止の状況である。被災以降、熊本県と国、JR九州並びに沿線自治体で協議を重ねた結果、今年4月に、肥薩線の八代―人吉駅間に対し鉄道で復旧する方針に合意した。復旧後の運用については、線路などを自治体で保有・管理する「上下分離方式」にして維持費を県と市町村で分担し、運行を担うJR九州の負担を大幅に軽減する方針である。

ちなみに肥薩線の盲腸線とも言われるくま川鉄道(旧湯前線)に関しては、豪雨により登録文化財である球磨川第四橋梁を含め複数の施設が被災し、今も一部区間で鉄道運行を取り止めている状況であるが、一昨年に鉄道として復旧すること、復旧後は上下分離方式による運用を行うことが決まった。現在、流失した橋梁の再建などの復旧工事が進められており、来年には全区間の鉄道として運行を再開する予定である。

球磨川第一橋梁(被災前): 2連のトランケートトラスは肥薩線を代表する橋梁である。

球磨川第一橋梁(被災状況):橋脚、桁など流失しトラス 1連だけが残る(鰺坂徹氏撮影)

球磨川第二橋梁(被災前):SLが明治時代トラス橋を勢いよく走る光景は肥薩線を代表する風景の一つである。(松本晉一氏撮影)

球磨川第二橋梁(被災状況):トランケートトラス2連とも流失。第一橋梁に残る1連が国内唯一のものとなった。(鰺坂徹氏撮影)

2. 肥薩線の歴史的価値

被災する前の肥薩線では、建設当時の明治時代の鉄道施設の多くが現役で活用されており、鉄道の近代化を代表する遺産として価値が高い。

平成24年から人吉市が中心となり肥薩線を世界遺産に推進するため学術調査が行われ、肥薩線の歴史や各施設の概要をまとめると共に、国内類例鉄道との比較研究を実施した。その結果、明治時代鉄道技術の集大成を良く表す鉄道施設として、残存状況が非常に良く、線形や勾配において技術的レベルが極めて高いことが明らかになった。

なお同時期にくま川鉄道の鉄道施設についても調査が行われ、平成26年に国の登録有形文化財として認められた。

以上を踏まえ、日本イコモスでは、平成29年12月に「20世紀遺産」の一つとして肥薩線を選定した。なお、被災翌年の3月には、重大な被害を受けた第一・第二橋梁の取扱いに関する要望書も出した。

3. 肥薩線復旧支援小委員会の立上げと活動の抱負

肥薩線の復旧が決まったことで、地域における鉄道インフラとしての役割とともに、観光資源として大きく期待されている。

近年、地方の鉄道は、沿線人口の減少や道路網の発達などで路線とその一連の施設群を取り巻く環境は厳しくなっている。多くの鉄道施設が運行を取り止めている中、肥薩線を鉄道として再生することは、鉄道の新たな道を示すことにもつながる。さらに大規模水害を乗り越えての鉄道として再生することは、将来に誇る復興になり、建設当時の貴重な鉄道施設が災害復興を表すかけがえのない存在になることは間違いない。

今後の具体的復旧方針の検討は、鉄道施設としての技術的検討に加え、河川及び道路復旧計画との調整・検討が想定される。そのような中、肥薩線の文化財としての価値を可能な限り残しながら復旧することは、近代化遺産の保存だけではなく、災害からの復興及び復旧後の活動を考える上でも意義が大きい。

本小委員会は、肥薩線の文化財としての価値を踏まえた復旧方針が進められるように学術的・技術的方面での様々な支援を行っていく方針である。

<肥薩線を代表する歴史的構造物>

人吉駅構内の機関庫

人吉駅構内の機関庫と機関車

人吉駅構内の転車台(松本晉一氏撮影)

大畑ループ・スイッチバック(小笠原浩幸氏撮影)

真幸駅のスイッチバック

※写真は特記無ければ、人吉市及び文化財保存計画協会撮影