沖縄県西表島における自然資源の価値化の現状と課題
沖縄県西表島における自然資源の価値化の現状と課題
Current Status and Issues of Valuing Natural Resources in Iriomote Island, Okinawa
海津 ゆりえ Yurie KAIZU
1. 5番目の世界自然遺産、誕生!
(1)美大島、徳之島、沖縄本島北、西表島世界自然遺産の特徴
2021年7月26日、第44回世界遺産委員会にて奄美大島、徳之島、沖縄本島北部(国頭村、大宜味村、東村)、西表島の4島のそれぞれ一部が、国際連合教育科学文化機関(UNESCO、ユネスコ)の世界遺産リスト記載物件となった。日本で5番目となる世界自然遺産の誕生である。国が琉球弧を世界自然遺産の候補地として、知床や小笠原諸島と共に選定したのは2003年であるから、実に18年の努力が実ったこととなる。鹿児島県と沖縄県にまたがる南北800kmという広範囲(図1)におよぶ登録は、他の世界自然遺産にはない特徴である。
出典:環境省ウェブサイト https://kyushu.env.go.jp/okinawa/amami-okinawa/description/index.html
推薦地を含む4地域の面積は、日本の国土面積の0.5%に満たないが、陸生脊椎動物の約57%が推薦地を含む4地域に生息し、その中には日本固有の脊椎動物の44%、日本の脊椎動物における国際的絶滅危惧種の36%が包含される。また、推薦地では、国際的絶滅危惧種95種を含め、絶滅危惧種の種数及び割合も多い。例えば、IUCNレッドリストに記載されているアマミノクロウサギは奄美大島と徳之島のみに生息し、1属1種で近縁種は存在しない。沖縄島北部のヤンバルクイナは、環境省レッドリストの絶滅危惧IA類 (CR)に記載されている、絶滅のおそれがある島嶼の無飛翔性クイナ類の1種である。トゲネズミ属は固有属で、中琉球の3地域にそれぞれの固有種が分布する。イリオモテヤマネコは西表島だけに生息する1属1種の哺乳類である。このような生態系の特徴について、2019年に世界遺産委員会に提出された登録書では次のように記載されている。
「推薦地は、世界の生物多様性ホットスポットの一つである日本の中でも生物多様性が突出して高い地域である中琉球、南琉球を最も代表する区域である。推薦地には多くの分類群において多くの種が生息する。また、絶滅危惧種や中琉球、南琉球の固有種が多く、それらの種の割合も高い。さらに、さまざまな固有種の進化の例が見られ、特に、遺存固有種及び/または独特な進化を遂げた種の例が多く存在する。これらの推薦地の生物多様性の特徴はすべて相互に関連しており、中琉球及び南琉球が大陸島として形成された地史の結果として生じてきた。分断と孤立の長い歴史を反映し、陸域生物はさまざまな進化の過程を経て、海峡を容易に越えられない非飛翔性の陸生脊椎動物群や植物で固有種の事例が多くみられるような、独特の生物相となった。また、中琉球と南琉球では種分化や固有化のパターンが異なっている。」(環境省による仮訳)
遺産登録に当たっては、世界自然遺産の4つのクライテリア(7)~(10)のうち、最終的に「(10) 生物多様性の本来的保全にとって、もっとも重要かつ意義深い自然生息地を含んでいるもの。これには科学上または保全上の観点から、すぐれて普遍的価値を持つ絶滅の恐れのある種の生息地などが含まれる。」が適用されることとなった。
(2)保護に関する法的担保
世界自然遺産地域は、その指定に際して国内法による何らかの保護措置があることが求められる。同遺産の場合は、生物多様性基本法による生物多様性保全地域(奄美大島・徳之島)、自然環境保全法による自然環境保全地域(西表島網取湾・崎山湾)、自然公園法による国立公園(奄美群島国立公園・やんばる国立公園・西表石垣国立公園)などの地域指定の他、文化財保護法による天然記念物指定、種の保存法、鳥獣保護法による希少鳥獣生息地指定、外来生物法、森林法、河川法、海岸法、公有水面埋立法、水質汚濁防止法等が関係している。
(3)指定の経緯と突きつけられた課題
同遺産指定までの経緯は次の通りである。
- 2003 (5月)環境省と林野庁が「世界自然遺産候補地に関する検討会」を共同で設置し、「知床」、「小笠原諸島」、「琉球諸島」の3地域を推薦候補地に選定
- 2013(1月)世界遺産条約関係省庁連絡会議で、「奄美・琉球」を世界遺産暫定リストに掲載することが決定。2016年登録を目指す。対象地域を、鹿児島県の奄美大島と徳之島、沖縄県の沖縄本島北部(国頭村、大宜味村、東村)と西表島の4島とすることに決定(以後登録目標を2017年、2018年へと塩基)
- 2016 暫定リストに掲載される
- 2016(3月)西表石垣国立公園の指定区域を西表島全域に拡大
- 2016(9月15日)やんばる国立公園誕生
- 2017(3月7日)奄美群島国立公園誕生
- 2017(10月11日から20日)IUCNによる現地調査が実施される
- 2018 (5月)IUCNにより登録延期が勧告される(注1)
- 2918(11月)政府が「奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島」の再推薦を決定
- 2019 (2月)2020年登録を目指し、ユネスコに再推薦
- 2019(10月5日から12日)IUCNによる再調査が行われる
- 2021 (5月)IUCNが「登録」勧告
- 2021(7月)1年延期された第44回世界遺産委員会において登録決定
登録までに道のりは決して順調ではなかった。2018年の登録延期勧告の際に指摘されたのは、保全を持続していくための管理体制、危機管理、住民参加など。また、2021年に登録が実現したが、同時に次の4つの要請事項を受け取っている(注2)。
① 観光管理
特に西表島において、観光の収容能力とその影響に関する厳しい評価が実施され、改定観光管理計画に統合されるまでは、観光客の訪問レベルを現在のレベルに制限する、または現在のレベルより減少させること。
②ロードキル
絶滅危惧種の交通事故死を減少させるための交通管理措置の有効性を緊急に見直し、必要な場合は強化すること(アマミノクロウサギ、イリオモテヤマネコ、ヤンバルクイナを含むがこれらに限定しない)。
③河川再生
プローチの採用に移行するために、包括的な河川再生戦略を策定すること。
④森林管理
緩衝地帯での森林伐採について、個々の伐採区域の数と総面積の両方において,現在のレベル以下に制限する、または現在のレベルから減少させ、いかなる伐採も厳格に緩衝地帯内に限定すること。
現在、同遺産は筆者も一員を務める科学委員会、地域連絡会議、要請事項対応タスクフォース、西表島モニタリング評価委員会等の枠組みを設け、保護管理と要請への対応のための方針や方策を検討し、現場の各プレイヤーにアドバイスを行い実行に移す、PDCAサイクルを回しているのである。
(4)世界自然遺産指定範囲
指定範囲は図2の通りである。範囲に含まれる主な資源は、御座岳、テドウ山、古見岳、南風岸岳、 浦内川源流~中流域(カンピレーの滝・マリユドゥの滝)、仲間川(仲間川天然保護区域、大原港に注ぐ河口まで全て、ナーラの滝)、仲良川(白浜港に注ぐ河口域は除く)、仲良川河口のマングローブ林、波照間森、ピナイサーラの滝などである。また浦内川に並走する浦内川遊歩道は世界遺産登録範囲内を通り抜けている。自然環境保全地域指定の崎山湾と網取湾は湾岸部(海浜)のみが対象となる。
集落地域と大原港から白浜港を結ぶ沖縄県道215号白浜南風見線沿道の海岸線を除く、島の約9割が登録範囲という濃密さで、緩衝地帯はわずかである。居住地がない島の南部から西部にかけては海岸まで登録範囲となっており、緩衝地帯は設定されていない。
指定範囲内の自然資源のうち、西田川、ヒナイ川、テドウ山、浦内川源流域、古見岳は次節で述べる「エコツーリズム推進法」に基づく特定自然観光資源に指定されており、同法に基づく保護措置を講じることができるようになっている。
出典:世界遺産奄美・沖縄ウェブサイト https://amamiokinawa.jp/iriomote/
2. 西表島におけるケーススタディ―エコツーリズムから世界自然遺産へ
上記の要請事項で筆頭に挙げられたのが、西表島における観光の課題であった。このことは2018年の「登録延期」勧告の際にも指摘されている。それまでもピナイサーラの滝周辺におけるカヌーの残置や、小河川におけるオーバーユース等はよく知られていたが、IUCNの勧告や要請が出されるまでは、島の主要な産業である観光にメスを入れることは困難であったといえよう。
西表島が世界自然遺産に登録されるまでに、国立公園やエコツーリズム推進の動きがあった。その背景には沖縄県や奄美群島、小笠原等に共通する「復帰」問題が横たわっている。少し時間を巻き戻し、西表島の国立公園指定の経緯、エコツーリズム推進の経緯、そして世界自然遺産の管理を踏まえた今日の動きについて整理する。
(1) 国立公園の変遷
西表島に国立公園の指定がかけられたのは、復帰前の1965年の「西表政府立公園」であった。1972年5月15日の沖縄の本土復帰に伴い、西表国立公園となっている。当時の公園は地種区分のない、エリア指定のみであった。その後2003年、2007年、2011年、2016年に見直し・拡張を行っている。このうち2007年には石垣島の一部を含めて「西表石垣国立公園」となり、2016年には西表島島内全域が国立公園地域に指定された。国立公園は概ね5年ごとに見直しを行っているのである。
(2)エコツーリズムの推進
その西表島で、日本で最初の国策に基づくエコツーリズム開発が行われたのは1990年度からである。国内5カ所を対象に環境庁(当時)が進めていた「自然体験活動促進計画」の一環であった。沖縄開発庁の要請を受けて西表国立公園が対象地の一つとなり、当時日本では事例がなかった“エコツーリズム”を推進することを目的とした調査が行われた。
1992年度末で事業は終了するが、西表島ではその後、調査に当たった機関等とともに『西表島エコツーリズムガイドブック―ヤマナ・カーラ・スナ・ピトゥ』(1994)を発行し、その販売益をもとに1996年に「西表島エコツーリズム協会」が設立された。最初は任意団体であったが2010年3月にNPO法人化し、現在に至る。同協会は島民がメンバーとなっている。浦内に本拠地(事務所)を置き、自主ガイドラインづくりなどの普及啓発、自然資源モニタリングやビーチクリーン等の環境保護活動、手わざや稲作などの講座、「島人文化祭」の開催など島の自然と文化を次世代に伝え、守る活動を続けている。
エコツーリズムは観光の理念であり、実践形態は移動する「ツアー」であることから地域指定とは直接的な関わりはないように見えるが、実際は国立公園内外の様々な場所を利用する。エコツーリズムへの取り組みが始まった当時の西表島の観光は、バスと遊覧船を使った日帰り周遊観光か、西表島が流行の震源地ともなったダイビング、横断登山やバードウォッチング、釣りなどの特定の活動に二分されていた。それがエコツアーを通じてシーカヤックによる河川の利用やトレッキング、マングローブ林の散策など、初心者でも参加できて自然を満喫するプログラムが増え、ガイド数や利用拠点を爆発的に増やすこととなった。島外からの移住者や、島で生まれた若者等がエコツアーに従事するようになり、島の人口維持や雇用確保への貢献が目に見えるようになった。
一方で、利用の重複によるトラブルや遭難事故等も目立つようになり、これまで必要とされてこなかったルール化や安全管理規程などが求められるようになった。西表島には東西に2本の大河川が流れているが、東部に河口をもつ仲間川では、遊覧船とカヌー事業者、地元住民による漁などが利用する場所が重複し、遊覧船が起こす引き波が河口のマングローブ林にダメージを与えていることも指摘されていた。2002年に施行された沖縄開発特別措置法は、そのような観光利用が集中する場での利用調整担保する「保全利用協定」の締結を勧めており、仲間川は同法に基づく協定地区第1号となった。2008年にエコツーリズム推進法が施行されると、2019年に竹富町を事務局として「竹富町西表島エコツーリズム推進協議会」を設立して全体構想を作成し、国との検討を経て2022年12月に認定を受けた。
(3) 観光管理への取り組み
2018年のIUCN勧告に基づき、竹富町は「竹富町観光案内人条例」の検討を開始し、2020年4月1日から施行を開始した。この条例により、西表島でガイドを行う者は町の案内人資格を取得することが義務付けられ、無資格者によるガイドは条例違反となった。同条例を管理するため、2020年4月に一般財団法人「西表島財団」が設立されている。同財団は、エコツーリズム推進全体構想にて特定自然観光資源の指定を受けた古見岳・テドウ山の維持管理業務を行政機関から受託しており、登山道の補修や利用影響のモニタリング等を実施している(注3)。
3. エコツーリズムから世界自然遺産へ
1990年代初頭から始まった西表島におけるエコツーリズムへの取り組みは、美しくダイナミックな西表島の自然の価値を世に広め、多くの人々を魅了した。世界自然遺産登録はその結果である。しかし、エコツーリズムは島の観光の多様化と利用過剰を招き、世界自然遺産登録は、観光のルール化・制度化という次のフェーズに向けて島を動かすに至った。西表島の自然を愛して移住したガイドたちの受け止め方は一様ではない。反対できない総論の前で自らの行動や生業のコントロールに悩むのは当然である。観光と関係のない生活を送る住民は、世界自然遺産に登録されたことによって、それまで当たり前に行ってきた自然の利用から切り離され、自然は手を触れてはならないものになりつつある。生活文化の継承の危機にも至りかねないといえる。世界遺産登録は、ローカルのものであった地域の自然や文化を一気にグローバルな存在へと高め、その流れを留めることは難しい。
わが国におけるエコツーリズムの先進地であった西表島は、それゆえの未知との闘いに種々直面してきた。世界自然遺産が加わったこの先も、様々な試練を経験することになるだろう。西表島の島おこしのためにエコツーリズムを誘致した島民、故・石垣金星さんは、ある時筆者に「文化力のある島は滅びない」と語った。その言葉は未来に向けた、大きな道標となるだろう。島の人々と、島を愛する人々と、その未来を模索していきたいと考えている。
(注1)生物多様性については満たしうる可能性が認められたが、北部訓練場返還地を含めて推薦範囲を再考すべきことや奄美大島での推薦範囲が連続性を欠いていることなどが指摘された。
(注2)環境省「令和6年度奄美・沖縄世界自然遺産関連計画の改定について」
(注3)西表島財団ウェブサイト https://iriomote.or.jp/
(参考文献)松井孝子(2021)世界自然遺産と地域社会とのかかわりについての考察と提言,PREC Study Report20:p.16-23
(文教大学国際学部 教授)