奄美遺産:世界遺産地域における地域資源集成制度としての地域遺産の成立経緯と展開


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奄美遺産:世界遺産地域における地域資源集成制度としての地域遺産の成立経緯と展開

Amami Heritage: The Establishment Process and Evolvement of Local Heritage as a Local Resource Network System in the World Heritage Area

津々見 崇 Takashi TSUTSUMI

「奄美群島国立公園ビジターセンター奄美自然観察の森」展望デッキからの眺め
「奄美群島国立公園ビジターセンター奄美自然観察の森」展望デッキからの眺め

1. 地域遺産の考え方

本稿でいう「地域遺産」とは、市町村などの一定の地域範囲に存在するモノ・ヒト・コトなどの資源(地域資源)の中から、ある主体が一定の理念・目的を持って選定したものであり、現在や将来の価値を有すると認められる地域資源を、ストーリーごとに集めて構成する。文化財や自然環境が対象となることが多いが、地域によっては人物やイベント等を含むこともあり、全国統一的な法制度は存在しない、自由で独創的な取り組みである。「ある主体」は地方自治体であることが多く、条例を制定して選定委員会を運営するものも見られるほか、市民団体や官民を巻き込んだ協議会が選定するケースも散見される。筆者調べでは、2001年創設の北海道遺産以降、これまで全国の50近い地域で取り組みが行われてきたようである。

その目的は、地域資源の発見発掘、地域資源の保護育成や次世代への継承、観光・交流による地域活性化、地域資源の価値伝達や情報発信、地域資源に携わる人材育成や活動支援、地域ブランドの創出、地域学習コンテンツ整備など多岐にわたっており(文献1)、そのための具体的活動は、【発見・評価の仕組み】(I.発見・調査、II.評価・認定)と【保存・活用の仕組み】(III.保存・再生、IV.継承、V.活用、VI.監視)の大きく2つ・細かく6つの段階で捉えることができる。選定された地域遺産の群は「太宰府市民遺産」「ぬまづの宝100選」など、地名+遺産、地名+宝といった名称で括られ、地域内外へ発信される。地域遺産の候補は広く市民らから募ることが一般的で、中には保存団体が既に存在し、選定後の保全・活用が担保されているものに限定して選定する地域もあり、工夫がなされている。他にも選定基準(クライテリア)や選定方法を定め、将来に向けて何を継承していくのか、そのための合意形成はいかにあるべきかなど、各地域それぞれの理念や方針が示されている。

このように、地域遺産は一種の「資源集成制度」であると捉えられるが、文化財指定などの文化財保護制度を時に補完し、また時に自由に独立した取り組みとして、各地で取り組まれている。本稿で扱う「奄美遺産」を擁する鹿児島県奄美群島は、現在では世界自然遺産「奄美大島、徳之島、沖縄県北部及び西表島」に登録された、わが国でも希少な自然環境を残す島々として知られる。これら「世界」と「地域」の2つの遺産制度を抱える地域は全国でも珍しい。以降、どのような経緯でこれらが成立し、どういったつながりがあるのかを紹介したい。

2. 奄美遺産の成立経緯

奄美群島は九州と沖縄本島の間に位置し、薩摩とも琉球とも異なる文化を形成してきた、亜熱帯の島々である。しかし、群島内の島と島、また、同じ島内でも集落どうしで違った文化があり、結びついた自然環境の多様性とも相まって、個性のある環境・文化が展開している地域である。

奄美群島における資源集成制度の源流は1980年代に遡る。まず1986年策定の笠利町(現・奄美市の一部)長期振興計画では「郷土再発見運動」が提唱され、町民が地域資源に目を向け学ぶことが構想されていた。その後1994年には同町学芸員の中山清美氏がシンポジウムにおいて「奄美そのものが博物館」と発言し、エコミュージアム概念が地域で認知され始めたほか、翌95年には「奄美文化列島博物館をめざして」と題した文化振興調査の報告書が公開され、集落の文化記録を通じてシマ文化(集落文化)の価値を確立し、保護・活用を行うことが提案されている。このように、奄美における資源集成制度は、エコミュージアム構想から歩みが始まったと言える。折しも奄美では、戦後の米軍政下に置かれたことによる開発整備の遅れを挽回すべく、奄美群島振興開発計画を活用する、という風潮から、「ダイナミックで重層的な歴史文化を持つ貴重な地域(文献2)」として地域づくりを次の段階へ進める時期に差し掛かっており、地域のアイデンティティの再構築と活用を考えるタイミングにあった。

2000年には鹿児島県総合計画の検討段階において、奄美群島の世界自然遺産登録に向けた取り組みが表明された。その一環として、翌年からは「地域の宝さがし」と称し、地域資源を「島々の宝」「奄美の宝」と位置づけて、学術的価値・社会的価値の両面から発掘・再発見する調査が行われ、2003年策定の「奄美群島自然共生プラン」に活かされた。一方笠利町では、中山氏を中心に『郷土(ふるさと)は博物館-家族で訪ねる奄美・笠利町の文化財』を同年刊行し、文化財と町民の距離を近づける媒体も生まれていった。

続いて2005年には、奄美群島の14市町村で構成する奄美群島広域事務組合(広域組合)が「奄美ミュージアム構想」を策定、以前からのエコミュージアム関連の取組みが発展的に政策化された。「奄美の宝」のデータベースをウェブサイトとして構築したほか、案内看板や体験型観光メニューの造成、自然・文化インストラクターの育成、とりわけ世界自然遺産登録を意識したエコツーリズムの育成・資格制度など、地域らしさを活かしたツーリズムによる地域振興も意識された。その中で「奄美の「宝」100選の公募・制定」も構想され、地域遺産のような、選定を通じた「宝」の継承と情報発信が企図されたが、この時は実施には至らなかったようである。

その後、2006年に旧名瀬市、笠利町、住用村が合併し奄美市が誕生したことで、中山氏が市文化財課係長となり、新市全域の歴史や文化を再評価する機運が高まった。指定文化財だけでは種類や数が制限されるため、奄美の歴史を理解するには多様な視点での地域の文化財を捉え直す必要があり、それに対応する補助事業として2008年度より「文化財総合的把握モデル事業」(モデル事業)を奄美市・宇検村・伊仙町で文化庁より受託し、歴史文化基本構想(歴文構想)の策定が始まった。そしてこの事業の中で、文化財を「奄美遺産」として捉え、保存・活用する考え方が示されたのである。

3. 奄美遺産の地域遺産システムとしての構造

モデル事業の文化財類型調査では、地域住民へのヒアリングや現地踏査もふまえた「集落・市町村悉皆調査」(奄美市では3集落で実施)、および専門家による「分類・要素別調査」(不動産遺産・動産遺産)が行われた。調査を通じて発掘された地域資源は、(1)島民にとって「大切なもの」「親しまれてきたもの」「敬われてきたもの」「将来に引き継いでいきたいもの」「守り残したいもの」という、学術的な普遍的価値とは異なる、現在の地域住民の思い入れを土台とした《主観的価値》を尊重する基準と、(2)一定の時間にわたって「受け継がれてきたもの」(例えば「2世代以上」「50年以上」)という、地域社会のなかでの一定度の普遍性を有する《客観的価値》を担保する基準の両面から評価され、合致するものを市町村にとっての地域遺産、つまり「市町村遺産」として選定する仕組みが作られた。

市町村遺産は、「歴史遺産」「生活遺産」「集落遺産」を重点テーマとして関連文化財群ごとにストーリー化され、奄美の歴史文化を象徴する「奄美遺産」として設定される仕組みが構築された。例えば生活遺産であれば、島の人たちに伝承されてきた妖精を題材にしたストーリー「シマンチュの精神を伝える「ケンムン」伝承」などであり、伝承そのものに加え、出没したとされる場所(奄美大島全体で53カ所)、伝承が記された書物といった市町村遺産が構成資産として含められ、集落遺産としては薩摩藩支配時代に中心地であった「大和文化の受け入れ口となった『赤木名集落』」(奄美市笠利町)などがモデル的に選定されている。

なお歴文構想では、各市町村で「遺産審査委員会」を設置し市町村遺産リストを作成し、群島全体での「奄美遺産審査委員会」へ奄美遺産の案を提出して、審査の上で認定を受ける仕組みも整えられた。

市町村遺産から奄美遺産に至るシステム(出典:歴史文化基本構想(宇検村・伊仙町・奄美市2011)より筆者加工)

4. 奄美遺産システム構築後の取組み

歴文構想で構築された奄美遺産のシステムであるが、モデル事業で奄美群島全域の地域遺産が網羅されたわけではなく、策定をキックオフとして調査、保存、活用を継続的に取り組むことを定めている。2011~16年度にかけて、奄美の自然・歴史・文化・産業に関する調査が行われ、また成果を活かした学習講座・フォーラムの開催、地域の伝統的な四季の生活や行事を示したカレンダーの刊行、ホームページ「電子ミュージアム奄美」の開設、集落ごとにシマ遺産(集落にある遺産)を掲載した『奄美市シマ遺産ハンドブック ふるふる奄美』や奄美方言を収録した『シマグチハンドブック(奄美市版)』の刊行などが行われ、加えて観光活用の検討も行われた。また、モデル事業の対象3自治体以外の奄美群島全体へ奄美遺産を広げるために、奄美群島文化財保護対策連絡協議会内に「奄美遺産会議」を立ち上げることが示されたほか、2013年には広く群島内から奄美遺産を募集するための手引きを作成・配布、その結果、翌年には群島全域12市町村(市町村合併で従前より2町村減)から217点が提示され、暫定リスト化されることとなった。

『奄美市シマ遺産ハンドブック ふるふる奄美』の表紙と内容の例(出典:奄美遺産活用実行委員会(2016))

『シマグチハンドブック(奄美市版))』の表紙と内容の例(出典:奄美遺産活用実行委員会(2017))

奄美市における、地域遺産と市民をつなげる試みとしては、シマ(集落)遺産を歩いて見つける生涯学習講座が開かれ、市民による地域遺産へのまなざしを育む取り組みが中山氏の指導で行われたほか、県立大島北高校において、やはり中山氏の指導によって、「シマ(集落)の宝」学習講座として、地元の古老へ昔の様子や伝統的生活様式などについて高校生がヒアリング調査を行い、冊子にまとめる「聞き書きサークル」の活動が始まった。

また、笠利地区を対象とした「歴史回廊のまち笠利 観光プロジェクト」事業が2014~17年度に行われ、顕在化している地域資源や活用されていない歴史資源、海とともに暮らす集落の面白さを資源として着地型の文化観光を進める取組みが行われたが、ここでも中山氏らは笠利地区の29集落を対象とした「集落の宝」についての聞き取り調査を行い、2015年に「笠利29集落 シマ遺産ベスト8資料」としてとりまとめた。これを事業の基礎データベースとして各種取組みが行われ、集落入口への集落紹介案内板の設置や『シマ(集落)あるきガイドブック』の刊行、集落遺産に位置づけられた赤木名集落のイラストマップ制作やモニターツアーが実施されるに至っている。

以上のように、歴史文化基本構想で資源集成制度として構築された奄美遺産のシステムは、構想策定後の各種事業の中で地域資源の発掘やそこへの住民の参加が引き続き進められ、地区によっては集落のアイデンティティを強固にし、活性化に活用するような取組みも行われ、深化していった。

観光プロジェクトで集落入口に立てられた、集落と集落遺産を紹介する看板

住民ボランティアガイドが集落を案内する「赤木名まちあるき」

5. 奄美遺産と世界自然遺産のつながり

最後に、奄美遺産と世界自然遺産のつながりについて触れておきたい。

2021年に世界自然遺産に「奄美大島、徳之島、沖縄県北部及び西表島」が登録された。上述のとおり、2000年に県は登録を目指すことを公表し、旧奄美群島国定公園の国立公園化に向けた準備の一環として「自然共生プラン」の策定を開始したが、その過程で「奄美の宝」「宝さがし」という言葉が地域資源調査で用いられるようになり、2005年に広域組合が「奄美ミュージアム構想」へ援用されていった。1990年代のエコミュージアム概念の導入以降、地域資源の発掘・評価を具体的に政策化したという点において、世界遺産関連の取組みが奄美遺産の成立を後押ししたとも考えられる。

2009年には国立公園のコンセプトを「生態系管理型国立公園」「環境文化型国立公園」と決定したが、後者は、自然資源と伝統的生活・営みといった文化のかかわりを意識し、住民と利用者がともに楽しみ、ともに守ることを意味し、奄美遺産の対象とも重複するものであって、中山氏も推奨していた。一方で2011年の歴文構想の専門委員には国立公園化に尽力した有識者や県、環境省が含まれている。歴文構想では「沖縄や九州にはない奄美群島に固有な文化財の価値や位置付けが明確になること」を条件として掲げており、奄美遺産は世界遺産登録運動の一環としての位置付けはないが、「環境文化型」という理念の中での世界自然遺産と奄美遺産の連続性は、関係者の間で共有されていたと推察される。

2003年の「自然共生プラン」以降、奄美におけるエコツーリズムの確立に向けたルールづくりやガイド人材育成などが進められていたが、2017年2月には「奄美群島エコツーリズム推進全体構想」が環境省より認定を受けるに至った。と同時に政府は世界遺産への推薦書をUNESCOへ提出、「奄美群島国立公園」も翌3月に成立、以後、多少の紆余曲折を経ながら、2021年に世界自然遺産登録が実現した。

6. まとめ

以上、奄美遺産の成立経緯と構造、システム構築後の取組みおよび世界自然遺産との関連について紹介してきた。中山氏を先導者としてシステム構築から深化が進められてきた奄美遺産だが、2016年に同氏が逝去したことで、大きな柱を失ってしまったといっても過言ではない。だが、氏が最後まで指導に力を入れていた高校生の聞き書きサークルは、現在まで熱心に活動を続けている。また、沖永良部島での「遺産めぐりモニターツアー in 久志検集落」や徳之島での「われんきゃ(子どもたち)ガイド」での「地域の宝さがし」など、奄美大島以外での集落遺産に光を当てた活動も散見され、若い世代にとってシマ(集落)遺産、奄美遺産に触れる機会が創出されていることは心強い。

実は全国的に見ても、地域遺産のシステムを構築する地域が継続的に見られる反面、年数が経過すると活動が停滞する地域が少なくない(文献3)。住民とともに継続的に地域遺産を選定したり、保全活動や地域学習に活用する取組みを継続的に行うにはいくつかの課題があると筆者は考える。一つは、地域遺産のシステムを構築する際に、より完全・緻密であろうとするために、制度が複雑化・硬直化しがちであるという点である。より広く使われるシステムをめざすのであれば、多くの住民が関与しやすい分かりやすさと、ファシリテートする専門家の役割が大きなカギを握るだろう。もう一つは、選定に向けた地域資源の調査や学習の過程における住民の知的好奇心や貢献意識を継続して持ってもらえる仕組みづくりが必要だという点である。多くの地域で地域遺産を選定しリスト化したものの、ほとんど活用されないという実情がある。こうした点に奄美遺産のシステムがより活用されるためのヒントがあるかもしれない。

近年奄美では世界自然遺産基金活用事業など、世界遺産であることによる地域資源関連の取組みが多いように見受けられるが、《環境文化型国立公園》のコンセプトも踏まえ、奄美ならではの自然環境と文化財の一体的な保全・活用を見据え、世界遺産の視点からだけでは見落とされがちな地域の宝を、地域遺産である「奄美遺産」のシステムを活用することで守り残してほしいと期待している。

(1) 柿本佳哉, 十代田朗, 津々見崇. 地域遺産の選定と特徴に関する研究, 都市計画論文集, Vol. 52, No.3, pp. 731-738, Oct. 2017.

(2) 南海日日新聞:奄振審議会 ソフト面充実など要望 第3次改訂奄振計画を了承、1999.6.11、1面

(3) 柿本佳哉, 津々見崇, 十代田朗. 地域遺産の活用と展開に関する研究-行政を中心とした取り組みに着目して-, 第 54 回日本都市計画学会学術研究論文発表会, 都市計画論文集, 日本都市計画学会, Vol. 54, No. 3, pp. 1320-1327, Oct. 2019.

(4) 奄美遺産活用実行委員会,「電子ミュージアム奄美」ホームページ,http://bunkaisan-amami-city.com/,2024.9.9最終閲覧

(5) 津々見崇,十代田朗.観光まちづくりにおける地域遺産システムの位置付けと役割に関する研究(その1):奄美遺産の成立に至る背景経緯および深化過程,日本建築学会計画系論文集,日本建築学会,Vol.86,No.787,pp. 2292-2303,Sep. 2021.

(東京工業大学 環境・社会理工学院 助教)