スーダンにおける武力紛争下の文化遺産の保護
スーダンにおける武力紛争下の文化遺産の保護
Safeguarding Sudan’s Cultural Heritage Amid of Armed Conflict
石村 智 Tomo ISHIMURA / 清水 信宏 Nobuhiro SHIMIZU / 関広 尚世 Naoyo SEKIHIRO
1. はじめに
2023年4月15日、スーダン国軍と準軍事組織である即応支援部隊(RSF)との武力衝突が発生した。以来、スーダン共和国は武力紛争下におかれ、今日(2024年9月)においてもその状況は続いている。
スーダンは現在、世界の中でも最悪の人道危機の状況にある国・地域のひとつであると言われているにも関わらず、日本を含む国際社会の関心は失われつつあり、「忘れられた国」になりつつあることは否めない。しかしそうした状況において、有形・無形のさまざまな文化遺産が危機的状況にあることは、決して無視すべきことではない。
ここでは武力紛争下のスーダンにおける文化遺産保護の現状と課題について報告するとともに、武力紛争下における文化遺産保護のための国際的な取り組みの必要性について述べることとしたい。
2. スーダンとの国際交流―ポストコンフリクトからインコンフリクトへ―
武力衝突が起こる前年の2022年に、私たち国立文化財機構東京文化財研究所は、科学研究費事業「ポストコンフリクト国における文化遺産保護と平和構築」(挑戦的研究(萌芽)、研究代表者:石村 智)としてスーダン国立民族学博物館(National Ethnographic Museum)と研究交流を開始した。特に無形文化遺産をはじめとするリビングヘリテージに焦点を当て、その保護と活用について研究交流を行うのが事業の主な目的であった。
スーダンでは2019年に30年間続いた独裁政権が崩壊して暫定的な民主国家が樹立され(スーダン革命)、国の復興が進められてきた。そうした中で、民族の和解と文化の多様性の重要性が強調されるようになっていた。もともとスーダンは多民族国家であり、独裁政権下では多くの少数民族が弾圧されてきたが、2019年の革命以降、民族の多様性を尊重することが平和構築につながるという考え方が推し進められてきた。この多様性を表すものとして、文化遺産が注目を浴びるようになり、平和構築を担う重要な要素として注目されるようになっていた。
私たちは2023年5月にカウンターパートであるスーダン国立民族学博物館のアマニ・ノウレルダイム(Amani Noureldaim)館長、エナジール・ティラブ(Elnzeer Tirab)副館長を日本に招へいし、国立文化財機構東京文化財研究所と研究交流の覚書(MoU)を締結する予定であった。しかしその直前に武力衝突が発生したため、招へいは延期となり、二人のカウンターパートも身の安全を守るため首都ハルツームから避難せざるを得なくなり、スーダン国立民族学博物館は閉鎖を余儀なくされた。
スーダンは一日にしてポストコンフリクトからインコンフリクトの状況へと変化した。この時点で私たちは事業を中止することも考えた。しかし検討の結果、私たちは事業を継続すると決断した。その大きな理由は、紛争下で毅然と現実に向き合おうとする現地のカウンターパートたちの姿に胸を打たれたからである。武力紛争発生直後の文化財保護は国際的にも前例は少なく、重要性が高いテーマであり、継続することに大きな意義があると考えたからである。
3. スーダン国内外における文化遺産保護のための取り組み
スーダン人文化遺産関係者は武力紛争下という困難な状況下で、迅速に文化遺産の保護活動をはじめたことは、私たちを驚かせた。しかも活動内容には有形遺産だけでなく無形遺産の保護も含まれていたのである。
2023年6月には3日間にわたって、主にエジプトのカイロに退避した国立古物博物館機構(NCAM)のスタッフをはじめとする文化遺産関係者を中心として、イタリア・ローマの国際機関である文化財保存修復研究国際センター(ICCROM)の協力により、対面とオンラインによる緊急ワークショップ・フォーラムが開催された。さらに7月には第二回フォーラムが5日間にわたって開催された。私たちもスーダン人文化遺産関係者の要請を受けて、これらの会議の一部にオンラインで参加した。一連のフォーラムでは、スーダン各地の博物館や遺跡等の現状が報告され、それぞれの復興に必要な措置や資金等の一覧が示された上で、国際社会に向けてその支援が訴えられた。
こうしたスーダン人文化遺産関係者の取り組みに対し、国際的な専門家たちも様々な形で支援を行っている。その中心的な存在は、ブリティッシュ・カウンシル文化保護基金によって活動を行っている「スーダン・リビングヘリテージ保護プロジェクト(Safeguarding Sudan's Living Heritage、略称SSLH)」である。このプロジェクトは、大英博物館のスーダン部門担当の学芸員でありスーダンの文化遺産研究の大家であるジュリー・アンダーソン(Julie Anderson)氏と、長年にわたってスーダン各地の博物館の設計・マネジメントを手掛けてきたマリンソン・アーキテクツ・アンド・エンジニアズのマイケル・マリンソン(Michael Mallinson)氏、ヘレン・マリンソン(Helen Mallinson)氏を中心に進められている事業である。
9月には4日間にわたって、エジプト・カイロの子供博物館(Child Museum)でユネスコとSSLHプロジェクトの共催による会議「緊急事態下にあるスーダンのリビングヘリテージ保護のための専門家会議」が開催された。私たちもこれに参加し、国際的な専門家およびカイロに避難してきたスーダン人文化遺産関係者と議論を行った。
またこの会議に合わせて私たちは、カイロに臨時オフィスを置いている在スーダン日本国大使館において、エジプトに退避している国立古物博物館機構(NCAM)局長のイブラヒム・ムーサ(Ibrahim Musa)氏をはじめとするスーダン人文化遺産関係者と、駐スーダン特命全権大使・服部孝氏、JICAスーダン事務所長・久保英士氏をはじめとする大使館・JICAのスタッフを交えた会談を行い、情報交換を行うとともに、日本からの文化遺産保護の国際協力の可能性について協議を行った。
さらに私たちは12月にイギリスのSSLHプロジェクトと研究協力の覚書(MoU)を締結するとともに、2024年5月にオンラインワークショップ「スーダンの無形文化遺産とリビングヘリテージの保護(“Reunion, Rehabilitation, and Revitalization” International Online Workshop for Safeguarding Intangible Cultural Heritage and Living Heritage in Sudan)」を共同で開催した。このオンラインワークショップでは、スーダンの国外もしくは国内の比較的安全な地域に避難しているスーダン人文化遺産関係者を招き、それぞれの活動について報告してもらった上で情報共有を行い、課題の解決に向けた議論を行った。
その中で私たちのカウンターパートであるアマニ・ノウレルダイム(Amani Noureldaim)氏は、首都ハルツームから避難した先であるワド・メダニのゲジーラ博物館(Gaziera Museum)において、地域住民と協力しながら文化遺産保護の活動を行っている事例を報告した。またエル・オベイドのシーカン博物館(Shiekan Museum)のアマニ・ヨーシフ・バシール(Amani Yousif Bashir)館長もまた、博物館における地域住民と協力した文化遺産保護の取り組みについて報告した。
私たちが再び驚かされたのは、国が戦時下にありながらも、国内の比較的安全な地域ではこのように文化遺産保護の活動が続けられ、しかも多くの地域住民がそれに協力しているということだった。実際には、スーダン国内は電気やインターネットといったインフラが依然として脆弱であり、オンラインに接続するのが困難だった参加者も少なくなかった。にもかかわらずこのワークショップに参加してくれたスーダン人文化遺産関係者たちには感謝の念に尽きない。
そして返す返すも残念なのは、エジプトに退避していた国立古物博物館機構(NCAM)局のイブラヒム・ムーサ局長が2024年1月に逝去されたことである。私たちが前年9月に面会したときも、ご家族の介助を伴ってのことだったので、体調が思わしくないことは存じ上げていたが、慣れない避難生活が病状を悪化させたであろうことは想像に難くない。なお国立古物博物館機構(NCAM)の局長は、現在スーダン国外に避難しており、5月のオンラインワークショップでも基調講演を寄せてくれたガリア・ガレル・ナビ(Ghalia Garel Nabi)氏が就き、その責務を引き継いでいる。
4. 国際的な支援の枠組みの必要性
こうしたスーダン国内外における文化遺産保護の取り組みは重要である一方で、国際的な文化遺産保護の枠組みが必要であることも確かである。
武力紛争下における文化遺産保護の国際的な条約としては、ユネスコの「武力紛争の際の文化財の保護のための条約(ハーグ条約)」がある。この条約は1954年に制定され、日本は制定と同時に署名したものの長らく未批准であった。しかし2004年に「武力紛争の際の文化財保護第二議定書」(第二議定書)が発効したのをきっかけとして2007年に批准し、117番目の締約国となった。
またこの条約を履行するための国際的な枠組みとして、1996年に国際ブルーシールド委員会(ICBS)が発足した。この委員会は国際アーカイブズ評議会(ICA)、国際博物館会議(ICOM)、国際記念物遺跡会議(ICOMOS)、国際図書館連盟(IFLA)の四つの国際NGOによって構成された。また2006年にはブルーシールド国内委員会連盟(ANCBS)が設立され、それぞれの国や地域に設立されたブルーシールド国内委員会によって構成された。この二つの組織は2016年に合併され、以降はシンプルに「ブルーシールド」と呼称されるようになった。
現在、ブルーシールドの加盟国の数は27で、さらに7か国が準備中である。しかし日本は国内委員会が立ち上がっていないため、ブルーシールドには未加盟にとどまっている。
国際的な文化遺産保護の枠組みとしてのブルーシールドの役割は大きく期待されるところではあるものの、日本を含めまだまだ国際的な認識が広まっていないのは残念なところである。とはいえ日本でも、2012年に文化遺産国際協力コンソーシアムが「第11回文化遺産国際協力コンソーシアム研究会 ブルーシールドと文化財緊急活動―国内委員会の役割と必要性―」を開催したのをはじめとし、2015年と2017年には国立文化財機構文化財防災ネットワーク推進本部が「文化遺産防災国際シンポジウム 文化遺産を大災害からどう守るか―ブルーシールドの可能性―」を二度にわたって開催し、2015年の第一回には国際ブルーシールド委員会事務局長のピーター・ストーン(Peter Stone)氏も来日して講演を行った。
日本は1945年の終戦以降、幸いなことにこれまで大きな武力紛争に巻き込まれることはなかったため、武力紛争下の文化遺産保護について関心が払われる機会が少なかったことは否定できない。しかし武力紛争後の、ポストコンフリクトの国々における文化遺産保護の国際協力については、カンボジアやアフガニスタンの事例をはじめとして、国際的にも高い評価を受けてきた。さらに、日本は自然災害後(ポスト・ディザスター)の文化遺産保護については、阪神淡路大震災や東日本大震災、そして現在進行中の能登半島地震などにおいて、多くの経験の蓄積がある。こうしたノウハウは、武力紛争という緊急事態下の文化遺産保護においても応用できる可能性は大いにあるだろう。
さらに近年、スーダンだけにとどまらず、ウクライナやパレスチナのガザ地域など、世界の様々な場所で武力紛争が継続しており、多くの文化遺産が危機に瀕している。どんなに文化遺産行政が綿密に行われていた場所であっても、ひとたび紛争が始まれば、第三国からの援助が不可欠となる。こうした現在だからこそ、武力紛争下における文化遺産保護の必要性がこれまで以上に高まっており、そのための議論をすみやかに行うべきであると、私たちは考える[1]。
その時、この日本イコモス国内委員会が積極的な役割を果たすことを、私たちは切に願っている。
【参考文献】
石村 智(2024)「ポストコンフリクト国における文化遺産の復興と平和構築」関広尚世・石村 智編著『スーダンの未来を想う―革命と政変と軍事衝突の目撃者たち』明石書店
石村 智・関広尚世・清水信宏(2024)「スーダンでの軍事衝突から武力紛争下における文化遺産の保護を考える」『考古学研究』70(4)、6~10頁
文化遺産国際協力コンソーシアム編(2014)『第11回文化遺産国際協力コンソーシアム研究会報告書 ブルーシールドと文化財緊急活動―国内委員会の役割と必要性―』文化遺産国際協力コンソーシアム
国立文化財機構文化財防災ネットワーク推進本部編(2017)『文化遺産防災国際シンポジウム 文化遺産を大災害からどう守るか―ブルーシールドの可能性―報告書』国立文化財機構文化財防災ネットワーク推進本部
国立文化財機構文化財防災ネットワーク推進本部編(2018)『文化遺産防災国際シンポジウム 文化遺産を大災害からどう守るか―ブルーシールドの可能性Ⅱ―報告書』国立文化財機構文化財防災ネットワーク推進本部
【注釈】
[1] ウクライナの文化遺産保護の支援については、奈良文化財研究所が令和5年度緊急的文化遺産保護国際貢献事業(専門家交流)「ウクライナ戦争被災地における文化遺産の保護に係る専門家交流事業」を実施し、2024年1月15日には東京文化財研究所にてウクライナ人文化遺産専門家を招いた国際シンポジウム「How Archaeological Heritage can be Better Protected from the Effects of War in Ukraine」を開催した。この会議では私たちもスーダンの現状について報告を行った。