西トップ遺跡三祠堂に対する修復工事の竣工


HOME / 季刊誌 / 2024年春号(Spring 2024) / 西トップ遺跡三祠堂に対する修復工事の竣工

西トップ遺跡三祠堂に対する修復工事の竣工

Completion of Restoration Work on the Three-tower Temple Complex of Western Prasat Top

庄田 慎矢 Shinya SHODA

写真1

1. はじめに

西トップ(Western Prasat Top)遺跡は、クメール王朝の都城であるアンコール・トムの中心に位置するバイヨン寺院から西へ500m、南へ150mほどに位置する。同遺跡はアンコール・トムの遺跡群の中でも存続年代が比較的長いことと、仏教的な要素が濃いことを特徴とする。奈良文化財研究所(奈文研)では、2003年以来、アンコール・シェムリアップ地域遺跡保護整備機構(APSARA)と共同で、西トップ遺跡において考古学・建築史学・保存科学・美術史学的な方法による調査研究やカンボジア人専門家の育成を進めている。2008年11月には「西トップ遺跡等調査修復現地事務所設置要項」が策定され、同事務所を拠点とし、現地スタッフとともに様々な事業を展開してきた。

本遺跡の中心となる構造物は、南北に一列に並ぶ三つの祠堂(北祠堂・中央祠堂・南祠堂とそれぞれ呼称)とその東側に付設されたテラスからなり(写真1)、これらの構造物群を南北約30m、東西約80mのラテライト石列が囲んでいる。2008年5月の中央祠堂からの石材の落下を契機として開始された修復工事は10数年に及んだが、2023年11月にこれら三棟の建物の修復が完了したので、本稿でその概要を紹介する。

(写真1)西トップ遺跡修復前全景(2002年、東から)

2. 南祠堂の修復

修復開始時には上成基壇より上部が南側に約19度傾斜している状況であったため、躯体部・上成基壇ののちに下成基壇を解体して基壇土を充填、搗き固めを行った。解体作業は2012年3月から翌年9月にかけて行われ、各部材に個別の番号を割り振りながら、部材の残存状況の調査と欠損および逸失部材の探索を行った(以下、他の構造物でも同様の作業を行った)。解体作業にともなう発掘調査を通じ、南祠堂の下成基壇内に中央祠堂南階段が残されていることが確認されたため、同構造の部分修復を先行して行うこととなった。なお、修復に先立ち、2013年6月に試験盛土による基壇土改良のためのデータ収集を行い、それをもとに2014年8月から2015年12月にかけて基壇および躯体部の再構築を行った。

3. 北祠堂の修復

修復開始時には躯体部が北側に約14度傾斜していたため、躯体部・上成基壇・下成基壇を解体して地下構造を把握する必要があった。2015年に3次元測量による現状記録を行った後、2016年1月から構造物の解体に着手した。特筆すべきことに、下成基壇の解体および断割調査を進める過程で、北祠堂の下層にレンガを積み上げて構築した遺構の存在することが明らかになった(写真2)。遺構の規模は上部で南北2.13m、東西2.08m、深さ1.48mで、レンガの表面には粘土の上塗りが確認された。遺構下半部では強く被熱している部分が多く、出土した金属・ガラス製品などと合わせ、なんらかの祭祀行為が行われたものと推定される。また、同遺構から出土した炭化物について放射性炭素年代測定を行ったところ、較正年代で紀元後1316-1448年という、レンガ遺構および北祠堂の年代を14世紀後半以降としていた年代観と整合的な年代が得られた。発掘調査終了後、2016年1月より北祠堂の再構築に着手し、2017年12月に完了した。

(写真2)北祠堂地下レンガ造遺構(南から)

4. 中央祠堂の修復

2006年に中央祠堂から生えていた樹木を伐採したことがきっかけで2008年に東側破風部分の石材40個が落下、構造物全体が不安定な状態となった。2018年1月に中央祠堂屋蓋部、2月に躯体部(写真3)、そして10月には基壇部の解体へと作業を進めた。この作業を通じて、中央祠堂基壇部に関しては、現在見えている砂岩外装の構造の内側に、ラテライトを積み上げて構築した前身基壇が存在することが明らかとなった(写真4)。実はこのことは、フランスのアンリ・マルシャルによって20世紀前半にすでに仮説として提唱されており、奈文研の調査によって実証されたことになる。ラテライト基壇に顕著な損壊が認められなかったことから、解体は砂岩による外装のみに留めることとした。中央祠堂においても解体に伴う発掘調査を実施したが、祠堂東面の台座状遺構の下層から、ラテライト敷石遺構と掘立柱建物の一部とみられる柱穴が検出されたことは、複数時期にわたる西トップ遺跡の変遷をたどる上で貴重な発見となったほか、納骨器と考えられる青磁および素焼きの小壺が出土した。このように解体・調査・再構築を同時進行で行うという一連の作業を継続し、2023年11月に完了した。

なお、開口部の扉枠に使用されていたコロネット・リンテルは、赤色砂岩を使用するという点で同遺跡では珍しいものであり、美術的な価値も高いものである。長きにわたりシェムリアップ市内のアンコール保存事務所に保管されていたが、2020年10月に西トップ遺跡に移送され、躯体部の復元の際に構造物の本来の位置に再び組入れられることとなった。

(写真3)中央祠堂の解体状況(上から)

(写真4)中央祠堂ラテライト基壇検出状況(北東から)

5. おわりに

以上のように、15年余りに及んだ三祠堂の修復工事は無事に完了し、主だった構造物の修復作業は、現在も作業を進めている東テラスを残すのみとなった。ただし、西トップ遺跡における奈文研の活動がこれで終焉を迎えるわけではない。今後は、水利施設など周辺の土地利用に関する状況や遺跡の形成過程、時代による構造物の変遷過程の復元などに焦点を当てた調査研究活動を進めるとともに、ガイダンス施設の整備や若手研究者の養成にも引き続き注力していく予定である。

(写真5)三祠堂の修復完了状況(東から)

(国立文化財機構 奈良文化財研究所 国際遺跡研究室長)