海外文化遺産の地震被害に関する協力可能性をめぐって


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海外文化遺産の地震被害に関する協力可能性をめぐって

Potentials and Issues Regarding Cooperation for Earthquake-Damaged Cultural Heritage Abroad

友田 正彦 Masahiko TOMODA

建て替えが進むコカナ集落の町並み(2023年10月)

はじめに

本年元日に発生した能登半島地震では、歴史的建造物や考古遺跡、歴史資料といった有形遺産から、伝統工芸や祭礼、芸能といった無形遺産まで、さまざまな文化財にも甚大な被害が生じた。他方、世界に目を向ければ、激甚災害は各地で頻発しており、豪雨や火災に比べれば地域的限定はあるにせよ、地震によって貴重な文化遺産が被災する事例も枚挙に暇がない。そうした状況下での国際協力において、わが国が有する文化財保護の知見をいかに活用しうるか、自身の経験も振り返りつつ考えてみたい。

近年の地震による文化遺産被災と日本による協力の概況

海外の地震災害に関連して、被災文化遺産の保護に日本が協力した事例のほとんどは今世紀に入ってからのものである。初期の事例では、2004年のスマトラ島沖地震で生じた大津波によって被災した古都アチェの史資料保存に関する東京外国語大学による支援のように、災害以前から継続的に協力関係を構築してきた研究者同士の人的つながりからおのずと協力支援活動につながるケースが多かったと思われる。その後、次第に多くの組織や公的資金を動員した復興支援プログラムが文化遺産分野においても展開されるようになる。その好例としては、2016年のエクアドル地震後、東海大学による活動を起点として文化庁委託事業による専門家研修や現地博物館への免震機材整備等の一般文化無償資金協力へと発展した事例がある。

かなりの大災害であっても、必ずしも全てのケースで日本からの支援が行われているわけではない。従前からの協力関係や先方からの支援要請の有無とともに、アジアの国々での協力事例が大半を占めることが示すように日本からの地理的な距離も大きな影響因子と考えられる。また、支援協力の形態や対象は思いのほか多様であり、文化遺産分野では災害時支援の定型的フォーマットは存在しないと言える。一般的な災害支援であれば、まずは人命救助をはじめとする即応支援や、医療品やテントに代表されるような援助物資の提供が想起されるところだが、文化遺産分野においてはこのような緊急支援の実績はほぼないと言ってよい。被災現地の状況把握には一定の時間を要する上、インフラを含む現地側の受け入れ態勢にも制約の多い状況下では、文化遺産の被災対応に外部からの手を借りる余裕が現地側にもないといった事情が大きいものと思われる。こうしたことから、これまでに日本が海外で行った地震被災文化遺産をめぐる協力はいずれも、発災から一定程度の時間が経過して現地状況がとりあえず落ち着き、復興のフェーズに差し掛かりつつある時点から開始されたものである。

ネパール地震後の文化遺産復興支援をめぐる顛末と課題

筆者自身が関わったプロジェクトも複数あり、逆に言えば、自然災害による文化遺産の被災は、協力事業立ち上げの契機として自分の中で大きな比重を占めている。例を挙げれば、2008年の四川大地震後に復旧に携わる中国人専門家を対象に日本における歴史的建造物の耐震対策を共有するためのワークショップを日本の文化庁と中国国家文物局が共催する形で企画。こういった単発の支援もあれば、被災した伝統的民家の構造安全性評価に関する技術支援要請を発端とするブータンでの協力事業は全国古民家共同調査に形を変えて継続し、既に13年目に入ったところである。このような中から、2015年ネパール地震後における被災文化遺産保護協力の事例を取り上げ、活動の経緯を振り返るとともに、そこで感じた課題を整理してみたい。

2015年4月25日に同国中西部を震源に発生したマグニチュード7.8の地震は、世界遺産であるカトマンズ盆地の王宮や寺院、歴史的街区にも広範かつ甚大な被害をもたらした。その惨状はSNS等を通じて世界中に拡散されるとともに、イコモス等による情報の収集整理もいち早く開始された。日本からも地震工学分野をはじめとする多くの専門家調査団が現地入りしたが、文化遺産に特化したものとしてはJICAが6月に派遣した調査団を嚆矢とし、続いて9月から東京文化財研究所が文化庁委託により実施した被災状況調査をうけて、カトマンズ王宮を中心とする歴史的建造物の復旧と歴史的集落の復興の2課題を対象とする技術的支援事業を開始することとなった。

前者においては、王宮正門とその直上に建つアガンチェン寺(半壊)、王宮内シヴァ寺(全壊)、さらにはパタン王宮デグ・タレジュ寺(部分損傷)の3棟を対象として日本政府による見返り資金を活用した修復を実施することでネパール政府考古局と合意し、協定に基づいてアガンチェン寺から応急補強作業と本格的調査を開始した。詳細な建築学的調査が行われたことのない建物とあって、実測図の作成や構造解析はもとより、煉瓦と木からなる混構造の技法や過去の増改築過程、壁裏に隠されていた壁画の発見など多くの新知見が得られた。しかし、このような文化遺産としての重要性が強調されるほどに、そのような重要遺産を外国人の異教徒の手に委ねてよいのか、といった感情的反発が地元側に生じ、これが政争の具として使われるに至って、日本側が提案した修復の基本計画は宙に浮く形となった。ネパール側からの対案も示されないまま、建物は現在も仮補強のまま無残な姿を呈し続けている。シヴァ寺についてはJICAから長期派遣された文化財建造物修理技術者により修復の実施設計図書が完成しており、考古局による着工のゴーサインが待たれるが、日本側が希望する施工過程への関与については未定のままである。デグ・タレジュ寺は地元市の主導のもと、パタン王宮における豊富な修復実績を有するNGOカトマンズ盆地保存トラスト(KVPT)が参画する形で目下工事が進められている。

ハヌマンドカ王宮アガンチェン寺(中央:2022年8月)

一方、歴史的集落に関しては、いくつかが世界遺産暫定リストに記載されているとはいえ、寺院建築以外は国による文化遺産指定のない民家が大半を占めており、住民生活の再建が急がれる中で歴史的町並み景観保全の制度づくりを働きかけるという、また違う意味で困難なテーマを扱うこととなった。考古局には余力も関心も乏しい中、歴史的集落を抱える地元各市に働きかけて、担当者レベルのワークショップと市長主催のフォーラムを持ち回りで開催しながら、歴史的まちづくりの方向性についての議論の喚起と合意形成を目指した。コロナ禍による現地活動の中断もあって、被災の激しかった集落では景観コントロールのないまま民家の建て替えが進む流れを押しとどめることはできなかったが、キルティプル市ではKVPTの協力も得ながら歴史的に重要な民家物件の保存活用に向けた支援活動を今も続けているほか、震災被害が比較的軽微だったパナウティ市では世界遺産登録を目指す地元行政の取り組みが継続している。

建て替えが進むコカナ集落の町並み(2023年10月)

このように、ネパールでの地震被災文化遺産復興支援は、当初われわれが目論んでいたような成果を達成するには至らず、一部継続している活動についてもなお前途を見通しがたい状況にあると言わねばならない。

複雑な事情が背景にあるため、これはやや極端な事例かもしれないが、今後の教訓として一般化できそうな課題を整理してみる。

まず、支援側と受け手の思惑にミスマッチがあったことは否定できない。建造物復旧に関しては、事前調査に始まり、設計、施工監理を経て、報告書作成に至る一連のプロセスをこの機に技術移転したいという思いが当方には強かったが、考古局としては限られた予算の中でいち早く最大件数の復旧を実現することが至上命題で、有り体に言えば質は二の次といったところがあった。外国人云々は半分言い訳のようなもので、その証拠に隣の現場では中国が資金も人材も丸抱えで王宮内最大の天守閣に当たる建物をハイペースで仕上げて既に竣工させている。災害後に限らないが、日本が行う文化遺産国際協力の大きな特徴として、対象物の修復自体が主目的ではなく、そのプロセスを通じた学術的研究や技術移転・人材育成といった持続的体制整備支援に重きが置かれる傾向を指摘できる。歴史的集落についての支援でも同じく言えることだが、災害復旧という速やかな結果が求められる局面において、ゼロに近い状態からスタートして制度や体制の整備を追い求めようとするのは、そもそも時間軸の設定に無理があるという批判は甘んじて受けざるをえない。

資金と支援体制が限られる中で、一部の例外的な状況を除けば、大規模な修復工事を日本が丸抱えで行うことはきわめて困難であり、またそのために保存修復の水準をいたずらに下げることは専門家としての矜持が許さないところである。日本が得意分野として自負している木造建造物修理においても、保存修復理念をめぐる諸外国とのギャップは著しいものがあり、相手国との共同実施にこぎつけても、具体的手法の選択における共通認識を形成するまでには相当の時間と労力を必要とする。このことを考えれば、特に文化的アイデンティティに関わる領域では、信頼醸成と相互理解のための十分な年月をかけつつ行う国際協働のあるべき姿と、災害復旧という即応性が求められる支援とは、そもそも馴染みが悪いと言ってしまえば身も蓋もないだろうか。Build Back Betterというスローガンはネパールの震災復興でもしばしば聞かれたが、歴史的都市にこのコンセプトを適用しようとするならば、そもそも何をもってbetterとするのかについての議論も含めて、よほど周到な事前準備がなされていなければならない。

未来志向の協力を目指して

日本の得意分野といえば耐震対策を思い浮かべる方も多いだろう。文化財分野におけるその歴史は1995年の阪神淡路大震災を契機とするから未だ30年に満たないとはいえ、日本国内で蓄積してきた文化財防災の諸段階(予防、応急対応、復旧)における技術的ノウハウや対応の経験を海外で活かせる可能性も高まってきていることは確かである。昨年2月に発災したトルコ・シリア地震をめぐっては、文化財防災センターと東京文化財研究所の協働により、トルコにおける博物館分野を中心とする文化遺産防災体制構築を支援する取り組みを開始したところである。ここでも緊急対応の段階は概ね脱しつつある中、今後も繰り返されるであろう自然災害にいかに備えるかに現地関係者の関心は早くも移りつつある。日本側も目下は能登半島地震対応に忙殺されている状況ではあるが、文化遺産保護の対象にも仕組みにも彼我には大きな相違があることを前提としつつ、両国が知見と意見を学びあうプロセスを通じて、双方の中長期的向上に益するよう、息の長い持続的な協力関係を築いていけることを願っている。

アンカラでの専門家会議(2023年12月)

(東京文化財研究所副所長兼文化遺産国際協力センター長)