初代門司駅遺構の保存
初代門司駅遺構の保存
Preservation of the First Moji Station Complex
福島 綾子 Ayako FUKUSHIMA
2023年、北九州市門司港で、1891 (明治24)年開業の初代門司駅に付随する鉄道遺構が発見された。この遺構群は現在、市の施設建設に伴う破壊の危機にあり、学会・市民による保存運動が展開されている。日本イコモスは既に保存要望書提出を提出し、また現在ヘリテージ・アラートの発出検討をイコモス本部に要請した。本稿ではこれまでの経緯、遺構群の文化財価値、問題の所在を会員の皆さんに広くお知らせし、支援と協力をお願いしたい。
背景
北九州市は門司港地域において複合公共施設(区役所、図書館、生涯学習センター、港湾局などの集約施設)を新築する計画を進めてきた。敷地はJR門司港駅に隣接する。市は、施設の実施設計まで進んだ2023年3月になってようやく敷地内で埋蔵文化財確認調査をおこない、初代門司駅に付随する遺構があることを確認した。2023年5月に埋蔵文化財包蔵地に指定し、9月から12月にかけて敷地(約8,000㎡)の1割強にあたる約900㎡の発掘調査を北九州市芸術文化振興財団埋蔵文化財調査室学芸員が実施した。試掘範囲全体の約6,000㎡で門司築港と駅施設建設の埋立造成土が確認されたにも関わらず、約5,000㎡では遺構なしと判断された。
門司駅遺構の文化財価値
遺構群の価値は、歴史的価値、建築土木的価値に大別される。
歴史的価値は、近代史における門司の重要性があげられる。1889(明治22)年、門司において港湾と鉄道の同時建設が始まり、1891(明治24)年に両施設は開業した。筑豊炭田は鉄道によって門司港と直結され、石炭は国内外へと輸送された。このようなドラスティックな近代インフラの整備によって門司は国際貿易港となり、日本の近代都市のモデルとなった。
建築土木的価値は、西洋近代由来の建築土木技術と近世日本の伝統技術が融合され、埋立や施設建設がなされた点にある。確認された遺構のうち、最も保存状態が良好であったのは煉瓦造機関車庫の基礎である。古写真・古地図・間組の工事請負履歴書から、明治24年竣工の機関車庫であることが判明した。機関車庫基礎は、地山と埋立地にまたがっており、ふたつの異なる土壌に応じて工法を変えている。地山部分では地山をU字状に掘りこんだ中にコンクリートを直接流し、布基礎を形成し、その上に煉瓦をイギリス積で積んでいる。埋立地では砂利を敷き、そこに胴木を設置した後、木製型枠を二重に設置しコンクリートを流し、その上に煉瓦が積まれている。地下水位の高さが幸いし、胴木、型枠は良好に遺存している。機関車庫の直下では、近世以前の護岸石垣が出土し、地山と埋立地の境界が確認され、埋立と同時に鉄道施設が建設されていったことがわかった。
機関車庫の他に、客車庫礎石、煉瓦造倉庫基礎、初代駅舎外郭石垣、駅舎増築基礎、大正期倉庫石垣、給水管などが確認されている。これら遺構の機能と建設時期は、複数の明治・大正・昭和期の門司駅敷地配置図、古写真からも確認できた。
今後周囲を発掘調査すれば、初代駅舎本屋、車庫などの遺構が検出される可能性があり、隣接地には明治24年竣工の九州鉄道記念館(旧九州鉄道本社、登録文化財)、1914(大正3)年竣工の門司港駅(旧門司駅)本屋(二代目門司駅舎、重要文化財)が現存する。近代化初期の門司における港湾整備・都市計画の様相が明らかになる可能性を有している。
さらに、初代門司駅遺構は、高輪築堤、新橋停車場、東京駅、小樽手宮鉄道施設、碓氷峠鉄道、肥薩線などと一体的に日本の近代鉄道遺産群を構成する。これらをシリアル・プロパティとしてとらえ、将来世界遺産に推薦という可能性も考えられる。その際には初代門司駅遺構は西日本における重要かつ不可欠な構成要素となるであろう。
保存運動の始まり
発掘調査が実施されている最中から、日本建築学会、鉄道史学会、都市史学会などから保存要望書が出された。筆者は北九州市文化財保護審議委員であるが、筆者を含む建築・考古・歴史専門の文化財保護審議委員が発掘中の現場を視察し、全員が現地保存すべきとの意見を述べた。
2024年1月25日、北九州市長は記者会見で、遺構を一部移築し、その他は破壊して予定通り複合公共施設を建設することを唐突に発表した。文化財保護審議委員には事前に何らの相談もなかった。この決定にかかる決裁文書や議事録が一切存在しないことが後に明らかになった。
この直後から、学会、市民団体からの保存要望書、陳情書の提出が相次ぎ、計19の要望書、陳情書、声明がこれまでに提出された。日本イコモスは岡田委員長、矢野事務局長、溝口副委員長、藤原惠洋、福島綾子の5名が2月21日に現場を視察し、22日に市に保存要望書を提出、記者会見をおこなった。この様子は新聞、テレビで大きく報道された。しかし、市は一切こうした保存要望に耳を傾けようとせず、複合公共施設の実施設計が終わっており、これまでの費用が無駄になるので、遺構の価値づけはしない、設計変更の検討はしないとの主張を続けた。
2月議会に遺構移築費が補正予算としてあげられた。議会は市の移築決定プロセスを問題視し、移築予算を補正予算から削除する修正動議を圧倒的多数の賛成により可決した。修正動議の提出は52年ぶりであり、北九州市政に残る歴史的議会となった。これにより4月の移築工事はなくなった。しかし、市側は議会の要請に応じ最低限の追加発掘調査を実施した後、ただちに遺構群を破壊して施設建設を実施し、遺構を現地保存するための検討は一切行わないとしている。
問題の所在
市が遺構の保存を頑なに検討しようとしない態度の背後にある理由は不明な部分もある。しかし、このような意思決定がなされた背景には、北九州市の文化財保護行政におけるゆきすぎた補助執行があることが明らかになった。
北九州市では「地方自治法」に基づき、文化財保護事務を市長部局に補助執行させている。補助執行とは事務の補助であり、決定の権限と責任を有することではない。文化財保護事務管理執行の権限は教育委員会会議が現在も保持している。しかし北九州市の実態としては、市長部局の局長が、市文化財指定諮問といった文化財保護事務の重要事項を教育委員会会議に諮らずに決裁している。教育委員会会議では条例改廃と文化財保護審議委員の委嘱しか審議してこなかったことが明らかになった。これは市長部局に文化財保護事務執行権限を全面移管しているのとほぼ同じ状態であり、補助執行の範囲を逸脱している。この点は2月議会でも市議によって質問されたが、市側は問題はないと答弁した。同様に、初代門司駅遺構の扱いについても、教育委員会会議で議案とされたことはない。
ところで、2018年の文化財保護法改正により、首長部局への文化財保護事務管理執行権限の全面移管が可能になった。この法改正の検討中には、教育委員会が首長部局から独立し、一定の距離を保っているからこそ文化財保護行政は健全性を維持できるのであり、首長部局への移管によって、教育委員会が持っていた独立性・中立性、教育委員会と開発担当部局との緊張関係が失われバランスがとれなくなるという懸念が提起された。北九州市は2018年の文化財保護法改正によって市長部局への全面移管はしていないのにも関わらず、独自の解釈による補助執行によって、上記の懸念を現実のものとしてしまっている。これに対し、福岡県庁と文化庁は地方自治には介入しない姿勢を示している。これは果たして地方自治として許容される文化財保護行政のありかたなのであろうか。
今後の取り組み
2024年5月には、日本イコモスを含む11学術団体が合同で保存要望書を提出した。また、日本イコモスは、イコモス本部に対し、ヘリテージ・アラート発出検討のための資料一式を送付した。初代門司駅という重要遺跡が失われようとしている要因には、地方自治の名のもとに、文化財保護行政が首長部局において、政治的中立性が失われた状態で補助執行されてきたことが明らかになった。これが許容されるならば、他自治体でも同じことが起こりうる。会員各位からのご意見をいただきたい。